孀婦岩
孀婦岩(そうふがん、そうふいわ)は、伊豆諸島の最南端に位置する岩である。気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。
孀婦岩 | |
---|---|
孀婦岩遠景(2007年) | |
所在地 | 日本(東京都) |
所在海域 | 太平洋(フィリピン海) |
所属諸島 | 伊豆諸島 |
座標 | 北緯29度47分39秒 東経140度20分31秒 / 北緯29.79417度 東経140.34194度座標: 北緯29度47分39秒 東経140度20分31秒 / 北緯29.79417度 東経140.34194度 |
面積 | 0.01 km² |
海岸線長 | - km |
最高標高 | 99 m |
プロジェクト 地形 |
東京都の直轄地であり、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。2016年時点で所属市町村未定であり[1]、本籍を置くことはできない。
地理
編集東京の南約650キロメートル、鳥島の南約76キロメートルに位置する標高99メートル、東西84メートル、南北56メートル、面積0.01平方キロメートルの顕著な黒色孤立突岩[2]。山体の大部分は海面下にあり、地塊は東西約50キロメートルにわたっており比高1,500メートル-2,000メートルほどの2つの高まりをもつ[3]。
周囲にはわずかな大陸棚が広がっているが、すぐに2,500mほどの深海につながっている[4]。
日本放送協会(NHK)や産業技術総合研究所等による海底から陸上までの調査により、岩質は海底部分は玄武岩であり、海上部分は安山岩であることが判明している[5][6]。頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。
2003年に活火山の基準が見直された際に、新たに活火山に選定された[7][8]。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6キロメートル、水深240メートルには火口がある[2]。海底から海上に及ぶ形状は、ケーキに立てられた1本のろうそくにも例えられる[9]。
その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に日本山岳会東海支部の池沼慧らが登頂を目指して上陸。しかしメンバーの転落事故により半分ほど登ったところで断念した[10]。その後、1975年7月21日に早稲田大学岳友会の水野生雄と田村俊輔が初登頂に成功した[11]。ほか、2003年にもロッククライミングで登頂した例などが存在する[12][13]。2017年5月には増本亮らクライマー2人、NHKカメラマン2人の計4人が上陸に成功している[6]。
伊豆諸島へのクルージング旅行の際に航路によっては船上から見ることもできる[4]。
周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。
歴史
編集孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス帝国のジョン・ミアーズであった。彼は交易のため2艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。ミアーズの記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記した。
ミアーズは、この岩をその不思議な形から、旧約聖書 創世記19章26節に記された、神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった人物に見立てて「Lot's wife(ロトの妻)」と名づけた。ミアーズの報告と実際の岩の位置は経度が大きく異なっているが(実際より17度も東にずれている)、緯度などその他の部分では正確に記録されており、ミアーズが使用していたクロノメーター(経度を正しく把握するためには正確な時計が必要)の精度不足が原因と思われる。
日本語文献では、1885年の『寰瀛水路誌』(海軍省水路局刊)に初めて「孀婦岩」の名が現れる。「孀婦」とはやもめの意味であるが、創世記に記された「ロトの妻」は寡婦ではなく、名称の由来は不明である。今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多い[14][15]。
周辺では海底火山が活動中であり、1975年に北約500メートルの海域に緑色の変色水の発生が観測されたが、火山活動との関連性は不明である[16]。
太平洋戦争時、孀婦岩はアメリカの潜水艦が日本の海域に侵入する際に、計器の補正のための基準マーカーとして使用された[17]。
戦後、1946年(昭和21年)3月22日に伊豆諸島が本土復帰してから、1952年(昭和27年)2月10日に吐噶喇列島が本土復帰するまで、この岩は日本の最南端であった。
生物相
編集海鳥の生息地であり、17種類の海鳥が棲息している。岩は鳥の糞で白くなっている。
2003年の調査では頂上にイネ科植物の植生が報告されている[13]。
2017年の調査で新種と思われる通常の3倍ほどのウミコオロギの仲間が発見されている[6][18]。
2018年5月の調査ではハサミムシの体が巨大化していることが確認されている。通常狭い島などでは小型化しやすいが、巨大化した原因は、少ない獲物をめぐり争う上で有利であり、かつ捕食者がいないためだと推測されている[18]。
脚注
編集- ^ 平成28年全国都道府県市区町村別面積調_国土地理院
- ^ a b 活火山情報:孀婦岩 気象庁
- ^ “9.国内外の主な火山現象による津波観測記録一覧表、10.個別火山の津波発生要因に関する調査結果の詳細”. 原子力規制委員会. 2022年1月10日閲覧。
- ^ a b c 仁田坂淳史 (2016年10月18日). “孀婦岩とかいう太平洋に浮かぶ謎の岩”. ニホンジンドットコム. 2024年10月6日閲覧。
- ^ NHKスペシャル 秘島探検 東京ロストワールド 第2集「孀婦(そうふ)岩」、2018年9月29日
- ^ a b c 奇跡の巨岩「孀婦岩」に迫る! NHKニュースおはよう日本、2018年9月28日
- ^ 『火山噴火予知連絡会による活火山の選定及び火山活動度による分類(ランク分け)について』(PDF)(プレスリリース)気象庁、2003年1月21日 。
- ^ 日本の火山 > 第四紀火山 > 孀婦岩 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- ^ “東京ロストワールド サメだらけの海に聳える「絶海の奇岩」に挑む”. FRIDAYデジタル. 講談社 (2018年9月29日). 2018年11月24日閲覧。
- ^ 『太陽 no.119』平凡社、1973年4月12日。
- ^ 『月刊PLAYBOY 第4号』集英社、1975年10月1日。
- ^ 『山と渓谷』第817号、山と渓谷社、2003年8月。
- ^ a b molamola-manbow. “孀 婦 岩 ( そ う ふ い わ )”. Hey! Manbow. 2024年10月6日閲覧。
- ^ 長谷川亮一『地図から消えた島々』吉川弘文館、2011年、72-79頁。
- ^ 「孀婦岩」の名称の発生については辻村太郎、「地名と発音」(『辻村太郎著作集七』)、平凡社、1986年参照
- ^ 孀婦岩 産業技術総合研究所
- ^ O'Kane, Richard H. Clear the Bridge! The War Patrols of the USS Tang London Macdonald & Jane's 1978 p.210 ISBN 0354011855
- ^ a b NHK「ダーウィンが来た!」(2019年4月28日)「第595回「世界初調査!東京の秘境 孀婦(そうふ)岩」」
関連項目
編集外部リンク
編集- 孀婦岩周辺の地図 - 地理院地図(国土地理院)
- 孀婦岩の空中写真 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
- 活火山情報:孀婦岩 - 気象庁
- 海域火山データベース - 海上保安庁海洋情報部
- 第四紀火山 孀婦岩 - 日本の火山(産業総合研究所 地質調査総合センター)
- NHKスペシャル 秘島探検 東京ロストワールド 第2集「孀婦(そうふ)岩」 - 日本放送協会
- グランパス島 - 長谷川亮一の幻想諸島航海記。この岩を初発見したミアーズの手記の原文がある。