太清宗渭

鎌倉時代末期から南北朝時代の臨済宗の僧

太清宗渭(たいせい そうい)は、鎌倉時代末期から南北朝時代臨済宗

太清宗渭
元亨元年6月29日 - 明徳2年/元中8年6月19日
1321年7月24日 - 1391年7月21日
絶清[1]
生地 相模国
宗旨 臨済宗
雪村友梅
弟子 叔英宗播太白真玄大有有諸龍潭宗濬大伝有承敬叟彦軾友岩宗儔香林遠洪源[2]
著作 『太清録』など[1]
テンプレートを表示

経歴・人物

編集

丹波西禅院の雪村友梅の室に入り、印可をうける[1]。のち美濃神渕山龍門寺鎌倉浄智寺京都天竜寺南禅寺相国寺の住持を歴任した[1]

脚注

編集
  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『太清宗渭』 - コトバンク
  2. ^ 人名規範資料庫、2019年1月28日閲覧。