天童寺(てんどうじ)は、「天童禅寺」とも呼ばれ、「東南佛国」とも称される、著名な禅宗の寺院である。禅宗五山の第二に列されている。浙江省寧波市鄞州区にあり、太白山の麓に位置し、山に依り、水に臨む、勝景の地にある。天童寺と日本の仏教の関係は深く、日本の曹洞宗は、天童寺を祖庭としている。

天童寺
天童寺
天童寺の位置(中華人民共和国内)
天童寺
中華人民共和国における位置
基本情報
所在地 中華人民共和国の旗 中国浙江省寧波市鄞州区
座標 北緯29度47分37秒 東経121度46分49秒 / 北緯29.793668度 東経121.780322度 / 29.793668; 121.780322座標: 北緯29度47分37秒 東経121度46分49秒 / 北緯29.793668度 東経121.780322度 / 29.793668; 121.780322
宗教 仏教
宗派 禅宗
建設
様式 中国建築
創設者 義興
創設 300年
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1983年、国務院は、漢族地区仏教全国重点地域に指定している。

2006年には、国家重要文物保護単位となった。

歴史

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天童寺は、西晋永康元年(300年)に創建された。遊行僧義興が建てたと言われている。

東晋隆安3年(399年)、孫恩の乱により焼失した。

唐朝の初年、現在の位置に移った。

乾元2年(759年)、粛宗から「天童玲瓏寺」の名を賜った。

咸通10年(869年)、懿宗から「天寿寺」の名を賜った。

北宋景徳4年(1007年)、真宗から「天童景徳禅寺」の額を賜った。

南宋建炎3年(1129年)、正覚禅師が住職になった。

紹興4年(1134年)、東南の第一大殿を増築した。

淳熙5年(1178年)、孝宗から「太白名山」の四字を賜った。

嘉定年間、天童寺は、「禅院五山十刹」の第三山に列せられた。

宝慶元年(1225年)、曹洞宗第十三祖の如浄禅師が住職になった。ちょうど、日本から道元が来朝しており、天童寺で修行していた。帰国後、日本で曹洞宗を開いた。

太祖は天下名寺を冊封し、天童禅寺を天下禅宗五山の第二山に列した。

万暦15年(1587年7月21日、大雨と洪水によりことごとく破壊され、礎石や瓦礫すら残らない有様であった[1]

雍正帝から、「慈雲密布」の扁額を賜った。

文化

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北宋の慶暦7年(1047年)11月、王安石は、「遊天童寺」の詩を作った。

村村桑拓緑浮空、

春日鶯啼谷口風。

二十里松行欲盡、

青山捧出梵王宮。[2]

ギャラリー

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天王殿
韋駄殿
山門

参考文献

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  1. ^ 『天童寺志』巻之2、建置攷下、明、万暦15年7月21日条
  2. ^ 天童寺:禅宗五山第二山 曹洞宗法伝承地” (簡体中文). 鳳凰网. 2012年1月29日閲覧。

外部リンク

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http://www.kagemarukun.fromc.jp/page003f.html