大西正男
大西 正男(おおにし まさお、1910年10月12日 - 1987年9月18日)は、日本の政治家。郵政大臣(第40代)、衆議院議員(9期)。
大西 正男 おおにし まさお | |
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生年月日 | 1910年10月12日 |
出生地 | 高知県 |
没年月日 | 1987年9月18日(76歳没) |
死没地 | 東京都 |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(民主党→) (国民民主党→) (改進党→) 自由民主党(河本派) |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
親族 | 父・大西正幹(衆議院議員) |
第40代 郵政大臣 | |
内閣 | 第2次大平内閣 |
在任期間 | 1979年11月9日 - 1980年7月17日 |
選挙区 | 高知県全県区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 |
1949年1月23日 - 1952年8月28日 1963年11月21日 - 1966年12月27日 1969年12月27日 - 1987年9月18日 |
来歴・人物
編集高知県出身。弁護士、衆議院議員の大西正幹の長男。旧制高知高等学校、東京帝国大学法学部卒業後、検事を経て弁護士となる。1949年の総選挙に高知県全県区から立候補し、初当選。1952年の総選挙では公職追放から解除されたばかりの宇田耕一に地盤を譲り、同年の参院選に高知県地方区から出馬するが、落選。
政界から一旦は退いていたが、1963年の総選挙で宇田の後継だった浜田正信の地盤を引き継ぐ格好で、11年振りに出馬して当選し、国政に返り咲く。
自治、外務政務次官などを経て、1979年11月、第2次大平内閣の郵政大臣として初入閣。翌年の7月まで務めた。
自民党内では傍流の三木武夫→河本敏夫派に属し、河本派の代表世話人を務めた。
1987年9月18日、肺癌のため東京都内の病院で現職のまま死去、76歳没。死没日をもって勲一等旭日大綬章追贈(勲六等からの昇叙)、正七位から正三位に叙される[1]。大西の地盤は山本有二が継いだ。
脚注
編集- ^ 『官報』第18182号12-14頁 昭和62年9月26日号
- ^ “『板垣精神 -明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念-』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2020年9月1日閲覧。
公職 | ||
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先代 白浜仁吉 |
郵政大臣 第40代 :1979年 - 1980年 |
次代 山内一郎 |
議会 | ||
先代 伊能繁次郎 |
衆議院地方行政委員長 1975年 - 1976年 |
次代 小山省二 |