大喜法忻(だいき ほうきん)は、南北朝時代臨済宗

大喜法忻
? - 応安元年/正平23年9月24日
(? - 1368年11月5日
諡号 仏満禅師[1]
生地 三河国[1]
宗旨 臨済宗
太平妙準
弟子 偉仙方裔中円法方日峰法朝季高法雲一峰方玄天心惟中一溪方聞太安法慶[2]
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経歴・人物

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今川国氏の嫡子今川基氏の四男。鎌倉浄智寺太平妙準の法を嗣ぎ、浄智寺、円覚寺建長寺の住持を歴任する。晩年は円覚寺の続灯庵に退いた[1]。また、春屋妙葩竺仙梵僊らの五山版の出版事業を受け継ぐなど五山文学にも貢献した[1]。法忻着賛の貞治2年(1363年)作の「太平妙準像」が雲巌寺栃木県大田原市)に現存する[3]

脚注

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  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『大喜法忻』 - コトバンク
  2. ^ 人名規範資料庫、2019年2月3日閲覧。
  3. ^ 4842_太平妙準(仏応禅師)像(雲巌寺) :: 東文研アーカイブデータベース、2019年2月3日閲覧。