報恩講

親鸞の命日前後に営まれる法要

報恩講(ほうおんこう)は、浄土真宗宗祖(開祖)とされる[1]親鸞1173年 - 1262年[2]) の祥月命日の前後に、救主阿弥陀如来並びに宗祖親鸞に対する報恩謝徳のために営まれる法要のこと。本願寺での報恩講の初夜又は逮夜の法要後に行われる法話及び真宗本廟で行われる門徒信仰告白に相当する「感話」に対する僧侶の批評は、特に改悔批判と呼ばれる。

解説

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本願寺三世覚如が、親鸞の三十三回忌に『報恩講私記(式)』を撰述したことが起源であるとされる。

浄土真宗の僧侶・門徒にとっては、年中行事の中でも最も重要な法要である。なお、荘厳も、最も重い形式となる。

  • 本山で営まれる法要は「御正忌報恩講」と呼ばれ、祥月命日を結願(最終日)として1週間にわたり営まれる(日程は後述)。
  • 別院・各末寺・各一般寺院においては、「お取越」もしくは「お引上」と呼ばれ、「御正忌報恩講」とは日付を前後にずらして1〜3日間、ないし5日間営まれる。
  • 門徒のお内仏(仏壇)の前においても、所属寺院(お手次寺)の住職を招いて「お取越」・「お引上」にて営まれる。「門徒報恩講」共。
  • 日付をずらす理由は、すべての僧侶・門徒は御正忌報恩講期間中に上山(本山に参拝することの意)することが、慣わしとされるためである[3]

宗派別の御正忌報恩講の日程

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各派によって日程が異なる理由

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親鸞が入滅した日は、弘長2年(1262年[2])11月28日グレゴリオ暦換算 1263年1月16日)である。宗派により、旧暦の日付のまま新暦の日付で行われる場合(11月28日)と新暦に換算した1月16日に営まれる場合があるからである。

遠忌法要

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50年ごとの年忌法要は、「遠忌法要(おんきほうよう、えんきほうよう)と呼ばれ、テーマ・基本理念を掲げ、記念事業に取り組むなど盛大に営まれる。

各派の「遠忌法要」の名称
宗派名 法要名称
浄土真宗本願寺派 親鸞聖人○○○回大遠忌法要[4]
真宗大谷派 宗祖親鸞聖人○○○回御遠忌法要[5]
真宗高田派 開山聖人○○○回遠忌報恩大法会[6]
真宗佛光寺派 宗祖親鸞聖人○○○回大遠忌法要
真宗興正派 宗祖親鸞聖人○○○回大遠忌法要[7]
真宗木辺派 親鸞聖人○○○回御遠忌法要[7]
真宗出雲路派 宗祖親鸞聖人○○○回報恩大遠忌
真宗誠照寺派 親鸞聖人○○○回御遠忌法要
真宗三門徒派 宗祖聖人○○○回御遠忌大法要
真宗山元派 宗祖親鸞聖人○○○回忌御遠忌法要
浄土真宗東本願寺派 親鸞聖人○○○回御遠忌
  • 注 - ○○○回には、年回忌の年数が入る。(例…七百五十回〈750回〉)

脚注

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  1. ^ 宗祖(開祖)とされているが、宗祖(開祖)と定めた時期は没後に定められる。本願寺系の場合は、本願寺三世 覚如により定められる。
  2. ^ a b 1262年…弘長2年11月28日 - 西暦(グレゴリオ暦換算・ユリウス暦ともに)1263年になるが、弘長2年はまだ年を越していないので、1262年と考える。文献の「親鸞の示寂」の年の西暦を、和暦に基づいて1262年と表記する場合と新暦に基づいて1263年と表記する場合があるため注意が必要。
  3. ^ 実際には、物理的に収容できない。あくまでも心構えの面から慣わしとしている。
  4. ^ 大遠忌法要…「だいおんきほうよう」と読む。
  5. ^ 御遠忌法要…「ごえんきほうよう」と読む。
  6. ^ 遠忌報恩大法会…「おんきほうおんだいほうえ」と読む。
  7. ^ a b 大遠忌法要…「だいおんきほうよう」と読む。

関連項目

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外部リンク

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