化学ポテンシャル

熱力学で用いられる示強性状態量の一つ

化学ポテンシャル(かがくポテンシャル、英語: chemical potential)は、熱力学で用いられる示強性状態量の一つで、浸透圧相平衡化学反応のようなマクロな物質量の移動が伴う現象で重要となる物理量である。 推奨される量記号は、μ(ミュー)である。

化学ポテンシャルはアメリカ化学者ウィラード・ギブズにより導入された概念である。

化学ポテンシャルは、物質の多寡により系が潜在的に持つエネルギーの大きさの尺度となる量である。 例えば、半透膜で隔てられた二つの系の間に濃度差が有った場合、浸透圧が生じ仕事を為す事が出来る。 また、物質が増減する化学反応では熱の出入り(発熱反応吸熱反応)を伴う。 このように、物質が存在することにより系は潜在的にエネルギーを持つ。 そのに含まれるある成分の単位物質量あたりのギブスエネルギーがその成分の化学ポテンシャルに相当する。

定義

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熱力学的な系内部エネルギーUの微小変化dUを考えると、熱力学第一法則より、

 

が成り立つ。ここで、d'Qは外部から系に流れる熱量、d'Wは系が外部にする仕事である。系のエントロピーS熱力学的温度Tとすると、d'Q=TdSであるから、上式は、

 

となる。系が外部と粒子の出入りがない場合では、圧力P、体積をVとすると、d'W=PdVであるから、

 

となるが[1]、粒子の出入りがある場合では、追加の項が必要であり、dU

 
(A)

となる[2]。(すなわち、 である)

ここで、 は成分iの物質量 の微小変化を表しており、 

   

で定義される、化学ポテンシャルと呼ばれる量[3]である。(全微分も参照。)括弧に付く添え字はその変数を一定にして偏微分することを意味する。また、  以外の全ての成分の物質量を表す。

その他の表現

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化学ポテンシャルは様々な変数の組の関数として、また様々な熱力学ポテンシャルの偏微分の関数として表現される。例えば、Fを系のヘルムホルツエネルギーとすると、成分 の化学ポテンシャルは

   

と表される[4]。これは次のようにして示される。まず、

 

なので、その微小変化は、

 

である。ここで(A)のdUを代入すると、

 

である。(ここで、UからFへの変換はルジャンドル変換となっている。)よって、

   

となる。同様に、系のギブズエネルギーG=U-TS+PVエンタルピーH=U+PVに対して、

   

   

も示される。また、(A)より、エントロピーSの微小変化は

   

なので、

   

も成り立つ。

物理的な意味

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化学ポテンシャルの物理的な意味は、同じ示強性である圧力との対応を考えるとわかりやすい。[独自研究?]たとえば圧力(示強性)は、熱力学的な系の体積(示量性)を少し変えたときに外界が感じる『手ごたえ』[要追加記述]である。この関係性を化学ポテンシャルに当てはめてみると、化学ポテンシャル(示強性)とは、熱力学的な系の物質量(示量性)を少し変えたときの『手ごたえ』と考えることができる[5]。よって[要追加記述]平衡状態に向かうときは、化学ポテンシャルが等しくなるように物質量は移動する[6]

また電磁気学において電荷qとその移動を司る静電ポテンシャルφとの積がポテンシャルエネルギーである。この関係性を化学ポテンシャルに当てはめてみると[7]、マクロな物質量Nの移動を司るポテンシャルが化学ポテンシャルμであり[8]それらの積であるギブズエネルギーはポテンシャルエネルギーのような量だと考えることもできる。[誰?]ただし実際にはミクロな粒子間にある複雑な相互作用などの結果としてマクロな化学ポテンシャルは決まると考えられ、力学におけるポテンシャル[要追加記述]と熱力学における化学ポテンシャルはかなり異なり同一視することはできない[8]

ギブズエネルギーとの関係

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部分モルギブズエネルギー

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温度 T圧力 p、および物質量の組 N = (N1, N2,...) により平衡状態が指定される場合での化学ポテンシャルは

 

で与えられる[9][10]。 このように温度と圧力と、1成分を除いた物質量を固定した示量変数の偏微分は部分モル量(partial molal quantity)と呼ばれ[11][12]、この意味で化学ポテンシャルは部分モルギブズエネルギーに等しい[10]

オイラーの関係式

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系のスケール変換を考えれば、ギブスエネルギーと物質量の示量性、及び温度と圧力の示強性から、スケール・パラメータ λ に対して

 

が成り立つ。これを λ について微分すれば

 

であり、λ = 1 と置けば

 

の関係が得られる。各成分の化学ポテンシャルとその成分の物質量の積の総和がギブズエネルギーとなる。

特に単一成分系では

 

であり、ギブズエネルギーは物質量に比例し、化学ポテンシャルは物質量に依らない。 つまり1成分系では温度と圧力が等しければ化学ポテンシャルは等しい。これは自由に熱を通し自由に動くことができる壁に穴を開けても、平衡状態は変化しない(壁の両側でマクロな物質量は変化しない)ことを意味する[6]

化学ポテンシャルの偏微分

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温度T、圧力pを変数としたときの化学ポテンシャルの偏微分は

 

 

となる。

 「ギブズ・デュエムの式」も参照

具体的な表示

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気体の化学ポテンシャル

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理想気体のモル体積は Vm = RT/p であり、これを積分すると

 

となる。ここで p°標準状態圧力μ° は標準化学ポテンシャルである。

実在気体の場合はモル体積をビリアル展開

 

と表わしたものを積分すれば

 

となる。標準化学ポテンシャルは

 

で定義される[13]。 また、フガシティー f を用いることで実在気体の化学ポテンシャルを

 

と表わすこともできる。ビリアル展開の形と比較すれば、フガシティーは

 

である[13]

混合のポテンシャル

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混合物の組成をモル分率 xi の組で表したとき、理想混合系の化学ポテンシャルは

 

で表される[14]。ここで *純物質における量を表している。

特に理想混合気体では

 

となり、純粋系での圧力をその組成の分圧 xi p で置き換えた形となる。 実在気体の混合系では、分圧をフガシティーへ置き換えて表される。

実在の固溶体や実在溶液では、モル分率を活量へ置き換えて

 

で表わされる[15]

溶液の化学ポテンシャル

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理想溶液において、溶質 i の濃度が質量モル濃度 bi で表されるときの化学ポテンシャルは

 

で表される。ここで b° は標準質量モル濃度であり、通常 b° = 1 mol/kg に選ばれる。

溶質の濃度がモル濃度 ci で表されるときの化学ポテンシャルは

 

で表される[16]。ここで c° は標準モル濃度であり、通常 c° = 1 mol/L に選ばれる。

実在溶液の場合は活量を用いることで、それぞれに

 

 

と表わすことができる[17][16]。 無限希釈の極限 b → 0 あるいは c → 0 で理想溶液に漸近するので、標準化学ポテンシャルは

 

 

で定義される[17]

見かけの化学ポテンシャル

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溶質の濃度が質量モル濃度 b で表されるときの溶媒のモル分率は

 

なので、理想溶液における溶媒の化学ポテンシャルは

 

である。実在溶液においては活量で置き換えて

 

となる。 ここで

 

は浸透係数である[10]。 このときギブズエネルギーは

 

となる。ここで app は見かけの量 (apparent molar propertyを表している。

化学平衡

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化学量論数 νi で表される化学反応において、反応進行度ξ とすれば、物質量は

 

と表わされる。等温等圧条件下ではギブズエネルギーが減少する方向に変化が進行し、平衡状態においてギブズエネルギーが極小となる。従って

 

を満たす ξ において化学平衡となる。 反応のギブズエネルギーは化学ポテンシャルを用いて

 

と書くことができて、理想混合気体においては

 

となる。 標準平衡定数

 

で定義すれば、平衡の条件は

 

となる。

物性物理学への応用

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モル数でなく、粒子数としての化学ポテンシャルμも考えることができる。固体電子論における電子系(例:電子ガス)でも化学ポテンシャルを定義することができ、特に温度T = 0 Kにおける化学ポテンシャル μ のことを、フェルミエネルギーεFと呼ぶ場合がある。

 

脚注

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  1. ^ 北孝文 p.42
  2. ^ 北孝文 p.61
  3. ^ 北孝文 p.66
  4. ^ 田崎 p.174
  5. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「tazaki_p120」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  6. ^ a b 佐々真一『熱力学入門』共立出版、2000年。ISBN 978-4320033474 
  7. ^ 田崎『熱力学』
  8. ^ a b 清水『熱力学の基礎』
  9. ^ バーロー『物理化学(上)』 pp.233-235, §8.10
  10. ^ a b c JIS Z 8000-9 2022.
  11. ^ バーロー『物理化学(上)』 p.163
  12. ^ Kirkwood & Oppenheim p.9
  13. ^ a b Kirkwood & Oppenheim p.89-92, §7-6.
  14. ^ バーロー『物理化学(下)』 p.612
  15. ^ バーロー『物理化学(下)』 pp.619-621, §19.4
  16. ^ a b バーロー『物理化学(下)』 pp.621-624, §19.5
  17. ^ a b Kirkwood & Oppenheim p.160-164, §11-1.

参考文献

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  • J.G. Kirkwood, I. Oppenheim (1961). Chemical Thermodynamics. McGraw-Hill 
  • G.M.バーロー『物理化学』 上巻、藤代亮一 訳(第1版)、東京化学同人、1968年。 
  • G.M.バーロー『物理化学』 下巻、藤代亮一 訳(第1版)、東京化学同人、1968年。 
  • 田崎晴明『熱力学 - 現代的な視点から』培風館〈新物理学シリーズ〉、2000年。ISBN 4-563-02432-5 
  • 清水明『熱力学の基礎』東京大学出版会、2007年。ISBN 978-4-13-062609-5 
  • 北孝文、鈴木久男(監修)『演習しよう熱・統計力学』数理工学社、2018年。ISBN 978-4-86481-053-1 

関連項目

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外部リンク

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