加藤進 (アナウンサー)
加藤 進(かとう すすむ、1947年1月21日 - )は、フリーアナウンサー。元広島テレビ(HTV)アナウンサー。滋賀県大津市出身。
かとう すすむ 加藤 進 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 滋賀県大津市 |
生年月日 | 1947年1月21日(77歳) |
最終学歴 | 広島大学[1] |
職歴 | 広島テレビ(HTV)アナウンサー → 広島テレビ(HTV)報道制作局アナウンス部長 → フリーアナウンサー |
活動期間 | 1969年 - |
担当番組・活動 | |
人物
編集中学2年の時に広島市へ転居。広島大学を卒業後、1969年に広島テレビへ入社。プロ野球などスポーツ中継を担当した。また、報道制作局アナウンス部長を務めた。
広島東洋カープの地元広島でリーグ優勝した試合のテレビ中継実況を2回やっている(昭和54年(1979年)10月6日 阪神戦 広島市民球場 / 平成3年(1991年)10月13日 阪神戦 広島市民球場)。
広島東洋カープがチームで新幹線で移動中に優勝を迎えた時にその瞬間を同乗していた加藤がリポートした。
日本シリーズ第8戦をテレビ中継実況したのは2018年11月現在、加藤だけである。
2005年4月からはアナウンス業務を外れ(その後も何度か番組に出たことはある)、2007年3月末をもって定年退職した。
2015年から中国新聞グループのケーブルテレビ「ちゅピCOM」でカープのウエスタン・リーグ中継実況をしている[2]。
フリーアナウンサー時代
編集- テレビ
- CARP TIMES(カープタイムズ)ウエスタン・リーグ中継(2015年 - 、ちゅピCOM)
- 広島東洋カープを中心に公式戦やウエスタン・リーグの生中継、関連イベントの模様
- カープ道 レジェンド実況アナ大集合(2018年11月21日・28日、広島ホームテレビ)鈴木信宏(元中国放送アナウンサー)、神田康秋(元テレビ新広島アナウンサー)、清永敏裕(広島ホームテレビ元アナウンサー)と出演
- 講師
- 安田女子大学 非常勤講師(日本語と映像文化)
- 中国新聞文化センター「ちゅーピーカレッジ」講師
- 広テレ!キャンパス 講師
広島テレビ時代の主な担当番組
編集- ひろしまTODAY60 - 1980年代中期に放送されていた平日夕方の情報番組。
- NNNニュースプラス1ひろしま
- 広島土曜ジャーナル
- スポーツ中継
- こちらマル○生活研究所
- ほっとひろしま
スポーツ中継で担当した試合
編集プロ野球
編集地元広島東洋カープ戦中継の実況として活躍していた。
- 公式戦
- 1984年9月15日の対読売ジャイアンツ戦で長嶋清幸が西本聖から逆転サヨナラホームランを放った試合[3]。
- 1991年10月13日の広島のセ・リーグ優勝決定戦(対阪神戦(ダブルヘッダーの第2試合)。スコアは1-0で、胴上げ投手は大野豊)も実況し、試合後に広島市民球場のグラウンド内で行われたビールかけの模様も伝えた[4]。
- 1986年の日本シリーズ・対西武ライオンズ戦では第1戦の中継を担当。
- 0-2で迎えた9回裏1死から小早川毅彦と山本浩二が西武先発の東尾修から2者連続ホームランを放ち、同点に追いついた。その後試合は延長14回時間切れで引き分け。これがシリーズ史上初となる第8戦までもつれ込むきっかけとなった。
- その第8戦でも実況を担当。試合は3回裏に広島の先発金石昭人が西武の先発東尾から2ランを放ち先制したが[5]、6回表に秋山幸二が金石から同点2ラン(バック転をしながらホームインしたことで有名になる[6])と、8回表にジョージ・ブコビッチのタイムリー二塁打[7]で3-2と逆転。最後を工藤公康が締めてシリーズ史上2度目となる「3連敗から4連勝の逆転日本一」の瞬間を伝えた[8]。そして、この試合で現役を引退する山本浩二の胴上げも併せて実況した[9]。
このほかにも日本シリーズは1979年(対近鉄)の第5戦、1984年(対阪急)の第2戦、1991年(対西武)の第5戦の実況を担当した[10]。
ゴルフ
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ “著名な卒業、修了生 - 広島大学”. 広島大学(広島大学大学院文学研究科/広島大学文学部日本文学語学講座). 2018年12月1日閲覧。
- ^ “【ちゅピCOM】赤ヘルVへ 全力応援 ウエスタン中継も充実”. 中国新聞アルファ (2015年3月15日). 2018年12月1日閲覧。
- ^ 長嶋は翌16日にも江川卓から2試合連続サヨナラホームランを放っているが、この時はTBS系列のRCCが中継(実況は深山計)。ただしこの時は延長12回裏(それまで0-0のスコアレスだった)に決めたため、中継時間内に放送することができなかった。
- ^ 当時日本テレビは19時から「矢追純一UFO特番」(2時間スペシャル)放送したため、ネットされなかった。なお、放送終了後の提供読みは加藤自身が担当(録音)している。
- ^ 金石はこのシリーズの第4戦で松沼博久から適時打を放っていることと、その年の対大洋戦(日時は不明)で野手顔負けの本塁打を放っていることに触れた直後に本塁打が飛び出したため、その時の描写は「いい当たりだ!レフトへ飛んだ!大きい、延びる!ホームランか?入った、2ラン!金石、先制2ランホームラン!」。さらに金石がホームインした直後に「いや、驚きました。それにしてもホームランの話をしたら、すぐ金石がレフトスタンドへライナー(で飛び込むホームラン)」とコメントしている。なお、このシリーズで投手が打った唯一の本塁打である(翌年からパ・リーグ出場チーム(クライマックスシリーズ導入後の2007年から。2006年まではセ・パ両リーグの優勝チームが正式に出場していた)の主催試合では指名打者制度を採用)。
- ^ このときの様子を加藤は「起死回生の一発が出ました。ご覧のように宙返り、秋山。ホームベース手前で宙返りを見せました秋山、同点2ランホームラン」とコメントしている。
- ^ この時の描写は「センターへ、大きい!センターバック!長嶋バック、なおバック、ずーっとバックした!フェンスダイレクト!大田ホームイン、3-2、逆転です!ブコビッチ、タイムリーのツーベースヒット!」とコメントしている。なお、この時一塁走者の大田が二塁盗塁を試み、これが成功したことで、決勝点が生まれた(金石はここで2番手・清川栄治に交代。大田はこの試合をもって現役引退)。
- ^ このときの勝利投手は3番手で登板した渡辺久信で、金石は敗戦投手になっている。
- ^ ただし、山本はその後行われた日米野球にも出場し、翌年のオープン戦で改めて引退試合とセレモニーが行われた(こちらも広島テレビが中継)。
- ^ 広島テレビは1980年も日本シリーズ中継を担当しているが、この時は先輩である脇田義信が実況を担当している。