加藤七左衛門
日本の剣道家
加藤 七左衛門(かとう しちざえもん、1880年(明治13年)11月 - 1971年(昭和46年)7月)は、日本の剣道家。段位称号は範士九段。
生涯
編集岐阜県加茂郡富加町出身。大字夕田の浅野庄太郎の四男。10歳のころより剣術を学び地方の試合では優勝した。
16歳の時、専心田宮流剣法を修練し、初巻目録を授与。その後愛知県の北辰一刀流剣道家・加藤貫一の養子となる。同門には後に剣道十段となる小川金之助がいた。
20歳の時、2年間京都の大日本武徳会本部へ出張し技を磨く。その後、名古屋監獄教習所、愛知県警察部、明倫中学校、名古屋税関で剣道教師を務めた。
1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会に指定選士として出場。リーグ戦で堀正平、浅子治郎、森末弘雅に敗れ、リーグ敗退した。
1964年(昭和39年)、東京オリンピック・デモンストレーション剣道試合に最年長選手(83歳)として出場。長野充孝(83歳)との試合を披露した。
剛直の面はあったがよく弟子を愛して敬慕された。晩年は菊造りを楽しみ、至極温厚な好々爺であったという。1971年(昭和46年)7月、91歳の天寿で死去。