前田孝昌
日本の江戸時代中期の武士。加賀藩年寄前田孝資の子で、加賀八家前田対馬守家9代当主。従五位下駿河守
前田 孝昌(まえだ たかまさ、享保8年10月10日(1723年11月7日) - 安永6年9月16日(1777年10月16日))は、加賀藩年寄。加賀八家前田対馬守家第9代当主[1]。
生涯
編集享保8年(1723年)、孝資の子として生まれる。宝暦3年(1753年)、父の死去により6月4日、家督と1万8500石の知行を相続する。年寄として藩主前田重教、治脩に仕え、人持組頭、城方御用、御法事奉行などを歴任する。
宝暦3年(1753年)、藩主前田重靖の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家重に拝謁する。宝暦5年(1755年)従五位下駿河守に叙任。宝暦13年(1763年)初代藩主前田利長の百五十回忌法要の御法事奉行を務める。
明和6年(1766年)、嫡男与十郎孝友が藩主重教の娘邦姫と婚約する。明和9年(1772年)、前田利長正室・玉泉院の百五十回忌法要で藩主名代を務める。安永6年(1777年)9月16日没、55歳。戒名は永徳院前駿州刺史従五位下実翁源大居士。家督は嫡男孝友が相続した。
脚注
編集- ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号
参考文献
編集- 東京大学史料編纂所『加賀藩史料』