前田利幸
日本の江戸時代中期~後期の大名。越中富山藩4代藩主前田利隆長男で、富山藩5代藩主。従四位下出雲守
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保14年12月11日(1730年1月29日) |
死没 | 宝暦12年9月4日(1762年10月20日) |
改名 | 隆丸・松千代(幼名)、利幸 |
別名 | 掃部(別名) |
戒名 | 霑慈院殿徳風日顕大居士 |
墓所 | 富山県富山市長岡の長岡御廟 |
官位 | 従四位下、出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 越中富山藩主 |
氏族 | 加賀前田氏 |
父母 | 父:前田利隆、母:山田氏(久衛) |
兄弟 | 利幸、隆子(前田利道正室)、利嘉、幸子(藤堂高雅正室)、利教、利与、芸子(前田長教室)、梶子、利興、利完、栄子、紀忠、利躊、尉子、利桓 |
妻 |
正室:前田吉徳の娘・総 側室:律(市原氏)、天野氏 |
子 |
春子(石川総博正室)、利久、豊子(前田利物正室) 養子:利与 |
生涯
編集享保14年(1729年)12月11日、第4代藩主・前田利隆の長男として富山で生まれる。延享元年(1744年)に父が死去したため、翌延享2年(1745年)2月13日に家督を継いだ。
父の時代に悪化した財政を再建するため、株仲間を奨励し、借金の15ヵ年返済方法採用や物価統制などを行なったが、いずれも効果なく失敗に終わった。また、文武を奨励している。
系譜
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