兼田 秀雄(かねだ ひでお、1880年明治13年)5月15日 - 1937年昭和12年)11月22日)は、日本の衆議院議員政友本党立憲政友会昭和会)。

兼田秀雄

経歴

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青森県南津軽郡黒石町(現在の黒石市)出身。早稲田大学政治科を卒業後、渡欧した[1]。帰国後、中央新聞政治部記者、東京朝日新聞政治部記者、政治部長を務めた[2]。その後、南満州鉄道に転じ、川村竹治社長のもと、秘書役・参事を務めた[1]

1924年大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。その間、岡田内閣鉄道参与官を務めた。 1935年(昭和10年)には昭和会の結党に参加した[3]

脚注

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  1. ^ a b 『新代議士名鑑』p.140
  2. ^ 『衆議院要覧』
  3. ^ 内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

参考文献

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  • 『衆議院要覧(乙)昭和十一年十二月』衆議院事務局、1936年。 
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。