全国中等学校優勝野球九州大会

全国中等学校優勝野球九州大会(ぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうきゅうしゅうたいかい)は、1915年第1回大会)から1924年第10回大会)まで、福岡県佐賀県長崎県熊本県大分県宮崎県鹿児島県沖縄県を対象に行われた、全国中等学校優勝野球の地方大会。

概要

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本大会の優勝校が九州代表として全国中等学校優勝野球大会に出場した。8県全てからの参加があった年は一度もなく、最少は1916年第2回大会)の1県、最多は1921年第7回大会)と1922年第8回大会)の7県だった。

1923年第9回大会)から福岡県勢が不参加となった[1]。これは当時の福岡県知事が他県の学校との試合を禁止したことによる[1]

1925年第11回大会)から北九州大会(福岡・佐賀・長崎・大分)と南九州大会(熊本・宮崎・鹿児島・沖縄)が編成された。

大会結果

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年度(大会) 優勝校(代表校) 決勝スコア 準優勝校 参加県
1915年(第1回 久留米商(福岡) 棄権 豊国中(福岡) 福岡・長崎
1916年(第2回 中学明善(福岡) 9 - 2 福岡工(福岡) 福岡
1917年(第3回 長崎中[2](長崎) 16 - 9 福岡商(福岡) 福岡・長崎・宮崎
1918年(第4回 中学明善(福岡) 6 - 2 長崎中(長崎) 福岡・長崎
1919年(第5回 小倉中(福岡) 7 - 0 中学明善(福岡) 福岡・佐賀・長崎
1920年(第6回 豊国中(福岡) 6 - 1 八女中(福岡) 福岡・佐賀・長崎・熊本
1921年(第7回 豊国中(福岡) 9 - 1 東筑中(福岡) 福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島
1922年(第8回 佐賀中(佐賀) 10 - 0 長崎商(長崎) 福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・鹿児島・沖縄
1923年(第9回 佐賀中(佐賀) 11 - 3 大分師範(大分) 佐賀・長崎・熊本・大分・鹿児島・沖縄
1924年(第10回 佐賀中(佐賀) 10 - 3 長崎商(長崎) 佐賀・長崎・大分・鹿児島

参加校数

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年度(大会) 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄
1915年(第1回) 7 0 1 0 0 0 0 0
1916年(第2回) 10 0 0 0 0 0 0 0
1917年(第3回) 10 0 2 0 0 1 0 0
1918年(第4回) 1 0 1 0 0 0 0 0
1919年(第5回) 11 3 1 0 0 0 0 0
1920年(第6回) 7 2 2 1 0 0 0 0
1921年(第7回) 12 5 4 1 1 1 1 0
1922年(第8回) 8 5 4 1 1 0 2 2
1923年(第9回) 0 4 4 1 1 0 2 1
1924年(第10回) 0 4 4 0 2 0 2 0

脚注

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  1. ^ a b 西原茂樹「甲子園野球の「物語」の生成とその背景 -明治末期~昭和初期の「青年らしさ」「純真」の言説に注目して-」『スポーツ社会学研究』第21巻第1号、日本スポーツ社会学会、2013年3月20日、69-84頁、CRID 1520290883189042560ISSN 091927512024年8月10日閲覧 
  2. ^ 長崎県立長崎西高等学校長崎県立長崎東高等学校の前身

関連項目

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