伊藤儀兵衛
伊藤 儀兵衛(いとう ぎへい、1848年6月10日(嘉永元年5月10日[1])- 1923年(大正12年)9月20日[2])は、岩手県花巻市出身の商人、政治家(貴族院議員)。
伊藤儀兵衛 いとう ぎへい | |
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生年月日 | 1848年6月10日 |
出生地 | 日本 岩手県花巻市 |
没年月日 | 1923年9月20日(75歳没) |
前職 | 商人 |
称号 | 勲四等 |
子女 | 四男・岡山不衣 |
在任期間 | 1897年9月29日 - 1904年9月28日 |
経歴
編集1848年(嘉永元年)、花巻に生まれる。生家は岩手県下一の豪商・豪農で、屋号は笹屋だった。
1881年(明治14年)8月18日 明治天皇の東北御巡幸の際に自宅を行在所として提供。数百円を投じて御休憩所を新築した[3]。
1889年(明治23年) 四男の儀七(岡山不衣)を岡山直機の養子とする[4]。
1890年(明治23年) 東北本線が盛岡駅まで開通して、花巻駅が開業した。当時、地主たちは鉄道をおそれ、駅の敷地を提供する者がいなかったという。その状況で、花巻地方では花巻川口町の沢藤家と並ぶ豪商の主だった儀兵衛は、進んで現在の駅の敷地を無償で提供した。笹屋はその後二度の大火に遭い、また経済事情の変遷もあって打撃を受けて逼塞したが、花巻に尽くした功績は多大なものがあるとされる[5]。
また岩手3区の衆議院議員佐藤昌蔵の後援団体「恭敬社」に、大関時五郎や伊藤金次郎、柏葉富次郎らとともに参加し、選挙活動を支えた[6]。佐藤は1890年(明治23年)、1892年(明治25年)と1894年(明治27年)と、三期連続で当選を果たしている。
1897年(明治30年) 花巻の二代目貴族院議員に選出され、同年9月29日から[7]1904年(明治37年)9月28日[2]までの任期中に日露戦争に遭遇し、功労により勲四等に叙せられた[3]。
1902年(明治35年) 花巻の一日市(ひといち)に郵便取扱所を創設し、花巻郵便局の二代目局長を引受けた。同じ年、盛岡にあった北上運送株式会社の支店を引受け、駅前通りに運送店を開いた。
貴族院議員満期後は、家業を長男の篤次郎に譲り、自分は菊造りと謡曲とに余生を送った。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。