伊藤修司
来歴
編集1946年、阪神商業高等学校卒業後、尾形藤吉厩舎に騎手見習として入門[2]。1948年に騎手免許を取得[1]。1953年からは父親の厩舎で騎手として活躍し、1961年にチトセホープで優駿牝馬(オークス)を勝ち[1]、連闘で臨んだ東京優駿競走で3着に入るなど活躍した。父の急死により1963年に引退、通算成績は981戦197勝であった。
1964年に調教師免許を取得し[1]、同年より京都競馬場で厩舎を開業する。1965年にハツライオーで札幌記念を勝ち重賞初制覇[1]、以後1991年まで、27年連続JRA重賞勝利という記録を達成している[3]。名ジャンパーグランドマーチスや、華麗なる一族と呼ばれたハギノトップレディ・ハギノカムイオー、武豊に初めてのGI勝利(菊花賞)をもたらしたスーパークリークなど、数多くのGI馬を育成した。2000年に定年を迎えて調教師を引退、調教師としての通算成績は9138戦1223勝(重賞83勝)。
2006年1月末に死去。訃報が伝えられたのは同年5月のことであった[1]。
代表騎乗馬
編集代表管理馬
編集- マーチス(1967年阪神3歳ステークス、1968年皐月賞優勝、啓衆賞最優秀4歳牡馬)
- ヒデコトブキ(1969年桜花賞優勝)
- ヒデハヤテ(1971年阪神3歳ステークス優勝、優駿賞最優秀3歳牡馬)
- グランドマーチス(中山大障害4度優勝、1974年・1975年優駿賞最優秀障害馬、JRA顕彰馬)
- バンブトンコート(1977年阪神3歳ステークス優勝、優駿賞最優秀3歳牡馬)
- ハギノトップレディ(1980年桜花賞、エリザベス女王杯優勝、優駿賞最優秀4歳牝馬、名牝ダイイチルビーの母)
- ハギノカムイオー(1983年宝塚記念優勝)
- ニシノライデン(GII4勝、天皇賞(春)2位失格)
- スーパークリーク(1988年菊花賞、1989年天皇賞(秋)、1990年天皇賞(春)優勝)
- ノーザンコンダクト(1991年12月21日ラジオたんぱ杯3歳S優勝、27年連続重賞勝利最後の馬)
主な厩舎所属者
編集※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
脚注
編集- ^ a b c d e f “スーパークリークの伊藤修司元調教師が死去”. netkeiba.com. 2015年7月12日閲覧。
- ^ 『優駿』2010年9月号、121-122頁。
- ^ 競馬ブック 1999年2月8日 ニュースぷらざ