伊藤 久二康(いとう くにやす、1957年 - )は、日本のアクション俳優。元TAC(旧東映芸能アクターズクラブ、現テクニカル・アクターズ・クラブ)所属。本名同じ。別名は伊藤 勝功剛 裕樹(ごう ゆうき)など。 身長171cm。

経歴

編集

1979年、『バトルフィーバーJ』にバトルフランスのスーツアクターとして参加。その際に当時のアクション監督であった山岡淳二に目を掛けられ[要出典]、『電子戦隊デンジマン』から『大戦隊ゴーグルファイブ』まで3年間、イエローのスーツアクターとして活躍した。

『ゴーグルファイブ』終盤ごろ、練習中の事故で首の骨を折る重症となり番組を降板[1]。復活も危ぶまれたが、闘病とリハビリの末に復帰を果たす。現在はアクション俳優として活動する一方、「ACE PROJECT」を主宰し後進の指導に当たっている。

人物

編集
  • 幼少時は浜松の自宅近くの畑で、耕された土をクッションにバック宙など練習していた。
  • 実兄・伊藤久二昭もスーツアクターである。
  • 立ち回りのアクションが「段取り」になることを嫌い、相手の動きを見てから自分が動き、かわす動作や反撃を心がけた。それでも立ち回りが成立するほどの速さだったことになる。後に、所属事務所TACが出演したショーで『時空戦士スピルバン』を演じた折、後輩の構成担当者に「挿入歌の歌詞が『時間を超え叫べ 空間を飛び戦え』ですから、空間飛んで戦って下さい」と言われ、ジャンプして着地するまでの滞空時間内に4発のパンチを入れる立ち回りを披露して、周囲の舌を巻かせた。
  • 太陽戦隊サンバルカン』で演じたバルパンサーには強い思い入れがあり、他の俳優がパンサーを演じると、小声で「それじゃ猫だよ」と評していた。

出演

編集

テレビドラマ

編集

映画

編集

脚注

編集
  1. ^ ゴーグルV・ダイナマン・バイオマン大全 2004, p. 241, 大須賀昭人スペシャルインタビュー.
  2. ^ 東映スーパー戦隊大全 2003, p. 252.
  3. ^ 東映スーパー戦隊大全 2003, p. 254.
  4. ^ ゴーグルV・ダイナマン・バイオマン大全 2004, p. 266.
  5. ^ 『東映ヒーローMAX』Vol.17、辰巳出版、2006年6月10日、100頁、ISBN 978-4-7778-0264-7 
  6. ^ ACTion 2021, p. 58.

参考文献

編集

外部リンク

編集