伊奈 忠克(いな ただかつ、元和3年(1617年) - 寛文5年8月14日(1665年9月22日))は、江戸時代初期の関東郡代。通称半左衛門。関東郡代伊奈忠治の嫡男。弟妹に治詣、忠重、主税、松平重長(図書)室、芦野資俊室。子に忠常、杉浦正稙室。
父伊奈忠治の死後、関東郡代と武蔵国赤山(現埼玉県川口市赤山)7千石の赤山城の遺領を継いだ。この際に弟2人に知行分与したため、4千石を領したという。忠克は祖父、父の仕事を継いで関東郡代として治水工事、新田開発を行った。江戸初期における利根川東遷事業がはじめの完成を見たのは忠克の代のことである。
また玉川兄弟と共に、江戸への水供給水道である玉川上水の施工に水道奉行として加わった。