京都市立朱雀第一小学校
京都市立朱雀第一小学校(きょうとしりつ すざくだいいちしょうがっこう)は京都府京都市中京区壬生朱雀町にある公立小学校。
京都市立朱雀第一小学校 Suzakudaiichi elementary school | |
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北緯35度00分27秒 東経135度44分36秒 / 北緯35.00742度 東経135.74339度座標: 北緯35度00分27秒 東経135度44分36秒 / 北緯35.00742度 東経135.74339度 | |
過去の名称 |
京都府葛野郡朱雀野尋常小学校 京都市立壬生尋常小学校 京都市立壬生尋常高等小学校 京都市立朱雀第一尋常高等小学校 京都市立朱雀第一国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1904年(明治37年)4月4日[1][注釈 1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B126210000402 |
所在地 | 〒604-8871 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
編集朱雀第一小学校の前身となる朱雀野尋常小学校の開校まで、葛野郡朱雀野村域の児童は西院・山ノ内・西京・三条台・壬生・郡の各村の組合により1873年(明治6年)に開校した西院尋常小学校(現在の京都市立西院小学校)に通学していた[3]。
通学区域
編集通学区域は、後述する「#朱雀第一学区」の範囲から西ノ京栂尾町・壬生神明町の全部と西ノ京小倉町・西ノ京星池町・壬生天池町・壬生花井町の一部を加えたものである[注釈 2][6]。
卒業後の進路
編集市立中学校に進学する場合、朱雀第一学区および西ノ京星池町については京都市立中京中学校、それ以外の区域(朱雀第五学区に当たる)については京都市立朱雀中学校に通学する[6]。
交通アクセス
編集公共交通機関の最寄駅・停留所は以下のとおり。
- 鉄道
- 路線バス
関係者
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朱雀第一学区
編集朱雀第一学区(すざくだいいちがっく[注釈 3])は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。朱雀第一小学校のかつての通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。
朱雀第一学区の名称の朱雀のもととなるのは明治22年(1889年)の町村制施行に伴い、聚楽廻、西京村、壬生村が合併して成立した朱雀野村である。朱雀野村は大正7年(1918年)に西院村の一部と共に京都市下京区(当時)に編入され、編入された区域は下京第34学区となった。
下京第34学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、朱雀学区となり、中京区に属した[7]。
学区内には、明治37年(1904年)に朱雀野小(のちに朱雀第一小と改称)が創立し、大正元年(1912年)には朱雀野第二小(のちに朱雀第二小と改称)、大正10年(1921年)には松原小(のちに朱雀第三小と改称)、昭和4年(1929年)に朱雀第四小、昭和5年(1930年)に朱雀第五小、昭和7年(1932年)に朱雀第六小、昭和8年(1933年)に朱雀第七小、昭和12年(1937年)に朱雀第八小が創立された[2][注釈 4]。
昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[8](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[9])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[8][注釈 5]。朱雀第一国民学校の通学区域を単位として朱雀第一町内会連合会が設置され[10]、戦後のポツダム政令[11]による解体ののち、住民自治の単位である現在の朱雀第一学区となった。
地理
編集朱雀第一学区は、中京区の中央部に位置し、北側が朱雀第六学区、西側が朱雀第五学区、南側が朱雀第三学区、東側が教業学区(二条城含む。)・乾学区と接する[12]。区域は、おおむね東は神泉苑通の西、北は押小路通、西は千本通、南は四条通であり、壬生及び西ノ京を冠称する町の一部から構成される。壬生を冠する町は近世の壬生村であり、西ノ京を冠する町は近世の三条台村(二条御城廻)にあたる[注釈 6]。面積は0.499 平方キロメートルである[注釈 7]。
人口・世帯数
編集京都市内では、おね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[13]、朱雀第一学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第7国勢統計区[注釈 8])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は9,920人、5,874世帯である。
朱雀第一学区の通り
編集朱雀第一学区の公称町名
編集交通
編集- 鉄道
- 路線バス
- 京都市営バス 京都バス 西日本JRバス 停留所
- 二条駅前
- 千本旧二条
- 京都市営バス 西日本JRバス 停留所
- 千本三条・朱雀立命館前
- 京都市営バス 京都バス 停留所
- 壬生寺道
- 京都市営バス 停留所
- みぶ操車場前
- 二条駅西口
主な施設
編集- 教育機関
- 佛教大学二条キャンパス(西ノ京東栂尾町)
- 立命館大学朱雀キャンパス(西ノ京東栂尾町[注釈 9])
- 京都府立朱雀高等学校(西ノ京式部町)
- 京都市立中京中学校(西ノ京北聖町)
- 京都市立洛中小学校(壬生坊城町)
- 京都市立朱雀第一小学校(壬生朱雀町)
- 公的機関
- その他
- 京都西ノ京職司郵便局(西ノ京職司町)
歴史
編集- 史跡
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脚注
編集注釈
編集- ^ あるいは4月1日[2]。
- ^ 壬生天池町・壬生花井町については、町全域が朱雀第一小の通学区域となる。
- ^ 学区(元学区)の読みは、『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 22, 「朱雀第一学区」にもとづく。
- ^ 第二次世界大戦前の京都市の学区については、学区内に新たに小学校が創立して通学区域が分割されても、学区の区域が分割されることはなかった。(→「京都の元学区」の記事を参照。)
- ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020)など中京区役所の資料で昭和16年に朱雀地域が8つの学区となると記しているのは、このときに8つの小学校(国民学校)に対応して8つの町内会連合会が設置されたことによると考えられる。
- ^ 三条台村は明治初年に西ノ京村に編入。
- ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
- ^ 令和2年国勢調査時点
- ^ 立命館大学は所在地を西ノ京朱雀町1番地と自称しているが、西ノ京朱雀町という公称町名は存在しない。
出典
編集- ^ a b 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 71, 「京都市立朱雀第一小学校」
- ^ a b c d 『京都市学区大観』 (1937), pp. 76–79, 「中京区朱雀学区」
- ^ a b 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), p. 446-447, 「西京村」(参照 2024-02-03)
- ^ a b c d e f g “朱雀第一小学校 学校の沿革”. 京都市立朱雀第一小学校. 2024年3月30日閲覧。(前の版 学校の沿革)
- ^ a b “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c “京都市通学区町名一覧(中京区)”. 京都市教育委員会. 2024年3月2日閲覧。
- ^ 「昭和4年3月29日京都府告示第80号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、50-51頁。
- ^ a b 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ 京都市戦時生活局振興課 編「各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額」『国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度』京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568 。
- ^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
- ^ “令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
- ^ “NA007 東町奉行所跡”. 2024年4月2日閲覧。
- ^ “NA052 西町奉行所跡”. 2024年4月2日閲覧。
- ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 22, 「朱雀第一学区」.
参考文献
編集- 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637。
- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。
- 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年 。2024年3月2日閲覧。
- 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年。doi:10.11501/9575674。ISBN 9784582477092。