井坂泉太郎
時代 | 江戸時代末期(幕末) |
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生誕 | 天保6年(1835年) |
死没 | 明治30年(1897年)1月10日 |
改名 | 貞行 → 泉 |
別名 | 諱:貞行 |
墓所 | 常磐共有墓地 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川慶篤→徳川昭武 |
藩 | 水戸藩(清水徳川家) |
概要
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諱は貞行。在京藩士本圀寺勢に属し、元治元年(1864年)9月20日、主君徳川慶篤の弟昭武附きとなる[1]。小姓頭取を務め、1867年(慶応3)年、昭武が将軍名代としてパリ万国博覧会に派遣された際、これに随行した。1868年1月(慶応3年12月)に向山隼人正らとともに帰国したが、1868年9月(慶応4年8月)、昭武を迎えるために服部潤次郎と再びパリに赴き、昭武とともに帰国した[1]。
明治以後は泉と改名し、水戸徳川家の事務局に入り、家扶(もしくは家令)となって引き続き昭武に仕えた。『戸定邸日誌』には幹部職員として家政に携わる様子が度々登場する[1]。明治30年(1897年)に没した。享年63。
演じた俳優
編集脚注
編集参照文献
編集- 『文明開化のあけぼのを見た男たち-慶應3年遣仏使節団の明治-』 (松戸市戸定歴史館編集・発行、1993年)
- 『プリンス昭武の欧州紀行』(宮永孝 著、2000年)ISBN 4-634-60840-5
- 『図録 プリンス・トクガワ』 (松戸市戸定歴史館編集・発行、2012年発行、2021年改定)