久保姫
戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。伊達晴宗の正室。岩城重隆の長女。
久保姫(くぼひめ、大永元年(1521年) - 文禄3年6月9日(1594年7月26日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。伊達晴宗の正室。岩城重隆の長女。通称は杉目御前、笑窪御前。
生涯
編集大永元年(1521年)、岩城重隆の長女として誕生。同母妹に佐竹義昭室がいる。
奥州一の美少女と評判だったといわれ、その嫁ぎ先をめぐって父・重隆は伊達氏や相馬氏と対立し、軍事的な争いにまで発展した。その結果、天文10年(1541年)頃に伊達晴宗の正室となった。その際に晴宗と久保姫の子を岩城氏の養子に迎えることが約束されたという。晴宗との仲は良く、六男五女に恵まれた。
晴宗死後は出家し、宝積寺を建立して亡き夫を供養した。その後、末子の直宗と共に杉目城に居住した。天正19年(1591年)の奥州仕置で信夫郡が蒲生氏郷領になると、久保姫は杉目城を出て、孫の政宗に従い宮城郡根白石に移住した。
文禄3年(1594年)、同地で死去。享年74。法名は栽松院殿月盛妙秋禅尼大姉。
子女
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