中川久定
中川 久定(なかがわ ひさやす、1931年3月15日 - 2017年6月18日)は、日本の文学者(フランス文学)。勲等は勲二等。学位は文学博士(京都大学・1976年)。京都大学名誉教授、日本学士院会員。
中川 久定 | |
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日本学士院により 公表された肖像写真 | |
誕生 |
1931年3月15日 東京府 |
死没 | 2017年6月18日(86歳没) |
職業 | 文学者 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
民族 | 大和民族 |
教育 |
文学博士 (京都大学・1976年) |
最終学歴 |
京都大学大学院 文学研究科修士課程修了 パリ大学大学院 博士課程中途退学 |
主題 |
論説 評論 |
主な受賞歴 |
辰野賞 京都新聞文化賞 京都府文化賞特別功労賞 |
親族 |
中川久任(祖父) 浅野長厚(大伯父) 浅野長之(大伯父) |
所属 |
名古屋大学 京都大学 近畿大学 京都国立博物館 国際高等研究所 |
名古屋大学教養部助教授、京都大学文学部教授、京都大学文学部学部長、近畿大学文芸学部教授、京都国立博物館館長、財団法人国際高等研究所副所長などを歴任した。
概要
編集日本のフランス文学者であり、新・京都学派の一員としても知られる。日本学士院会員、および、京都大学名誉教授。豊後国・岡藩(大分県竹田市)中川家(旧伯爵家)第18代当主。
来歴・人物
編集東京生まれ。名前が難読のため、同世代の学者からは「キューテイ」と呼ばれていた。
1953年京都大学文学部仏文科卒、在学中の1952年に起きた京大天皇事件では、学生の処分撤回を求めて高橋和巳、一海知義[1]らとハンストを行っている。新・京都学派の一員でもあった。
1956年同・大学院修士課程修了、フランスのソルボンヌ大学博士課程に学び、1961年中退。名古屋大学教養部講師、1965年助教授、1971年京大文学部仏文科助教授、1980年教授、1992年文学部長、1994年定年退官、名誉教授、近畿大学文芸学部教授、1995年日本学士院会員、1997年京都国立博物館長、2001年国際高等研究所副所長。
フランス18世紀の思想家ドゥニ・ディドロを専門とし、後半生はフランス語での研究著述・出版を軸とし、パリ・ディドロ大学客員教授、パリ国立東洋言語文明研究所客員教授、パリ高等師範学校客員教授なども歴任した。国内では百科全書を中心とする17・18世紀の啓蒙思想古典、紀行探検記の監修・編集代表、河合文化教育研究所主任研究員も務めた。
旧岡藩主中川家に伝わる多数の資料を地元竹田市に寄贈した。2001年に竹田市名誉市民の称号を贈られた[2]。2017年6月18日、肺炎のため死去[3]。86歳。
2023年4月、一般財団法人中川久定記念基金が設立された。
賞歴
編集栄典
編集1985年フランス教育功労章オフィシエを受章、2001年秋に勲二等瑞宝章受章[4]、2004年レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。
著書
編集- 初版と第2版とに表現された著者の意識の構造にかんする考察
- 『甦るルソー 深層の読解』岩波現代選書 1983
- 『ディドロ 人類の知的遺産41』講談社 1985
- 『ディドロの<現代性>』河合ブックレット 1986 小冊子
- 『啓蒙の世紀の光のもとで ディドロと<百科全書>』岩波書店 1994
- 『転倒の島 18世紀フランス文学史の諸断面』岩波書店 2002
- 『ディドロ、18世紀のヨーロッパと日本』岩波書店 1991(編著)
- 『十八世紀における他者のイメージ アジアの側から、そしてヨーロッパの側から』
- 河合文化教育研究所 2006(編著の一人)
翻訳
編集- V.-L.ソーニエ『十八世紀フランス文学』山田稔、田村俶共訳、白水社・文庫クセジュ、1956年
- ディドロ「ブーガンヴィル航海記補遺」 中央公論社「世界の名著」、1970年
- 改訳版は 岩波書店「シリーズ世界周航記2」、2007年
- ピーター・ゲイ『自由の科学 ヨーロッパ啓蒙思想の社会史』鷲見洋一、中川洋子、永見文雄、玉井通和共訳
ミネルヴァ書房 全2巻、1982年-1986年、新装版2014年 - 『十八世紀研究者の仕事 知的自伝』セルゲイ・カルプ編(増田真共監訳) 叢書ウニベルシタス 法政大学出版局、2008年
編集委員
編集- 「十八世紀叢書」全10巻 国書刊行会、1997年より刊行中
- 「17・18世紀大旅行記叢書」(第1・2期)岩波書店
- 「ユートピア旅行記叢書」、岩波書店