中井連
中井 連[1](なかい れん、旧姓・大町[2]、1883年(明治16年)5月6日[2] - 没年不明)は、日本の政治家(神戸市会議員[3][4]、西灘村会議員)、内外科医師[3][5][6]、実業家。摩耶山社長[3]。
人物
編集岡山県勝田郡勝田村(のち勝田町、現美作市)出身。大町助太郎の四男[2][3][5][7]。1905年、大阪慈恵病院医学校卒業[8]。任陸軍三等軍医[8]。1907年、中井淳の養子となり、1922年、家督を相続した[2][3][5][7]。
東京帝国大学医学部選科を修業[4][6]あるいは卒業[5]、開業した[5]。医師であり、中井病院を経営した[2][7]。兵庫県衛生防疫官、摩耶山社長などを務めた[3]。
大政翼賛会市支部協力会議員である[4]。宗教は真宗[4][6]。趣味は謡曲[4][6]。兵庫県在籍で[2][3][5][7]、住所は神戸市灘区稗田町[2][7]、同区灘北[1][3][4][5]。
家族・親族
編集- 中井家
脚注
編集- ^ a b c 『日本紳士録 第46版』兵庫ナの部73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第10版 下』ナ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第14版 下』ナ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e f 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』兵庫117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第13版 下』ナ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』兵庫106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月2日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第11版 下』ナ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月4日閲覧。
- ^ a b 『日本醫籍録 昭和13年版 近畿版』兵庫県2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月11日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 『日本醫籍録 昭和13年版 近畿版』醫事時論社、1938年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 交詢社編『日本紳士録 第46版』交詢社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。