上総国分尼寺跡
千葉県市原市にある寺院跡
概要
編集養老川北岸の台地上に所在し、敷地面積約12万平方メートルの大規模な伽藍であったとされる[1]。南西方には上総国分寺跡があるほか、周辺には古墳・遺跡や瓦の窯跡が多く確認されている。国分寺同様、伽藍は大きく2期の造営時期が確認され、国分寺と同一計画で進められた[2]。また現在明らかな諸国国分尼寺の中で、1期目の寺域は最大とされる[2]。
1989年(平成元年)まで行われた発掘調査で、柱の位置の確認などで主要伽藍の構造を含めた全容が解明されたことから、建物跡の完全な木造復元が可能とされた[3][4]。これを踏まえ、かつての中門が奈良時代の工法を再現する形で木造復元[5][6][7]。合わせて「史跡上総国分尼寺跡展示館」が建設され(1993年(平成5年)8月1日開館)、木造復元建物と共に一般公開されている[8]。といった
境内
編集境内は市原市により整備が進められ、一部建物が木造復元されている。
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金堂基壇
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回廊(復元)から望む金堂院
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回廊内部
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回廊外観
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中門(復元)
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講堂跡
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尼坊跡
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経楼跡
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鐘楼跡
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東門跡
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史跡上総国分尼寺跡展示館
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僧寺跡・国分尼寺跡出土 墨書土器
史跡上総国分尼寺跡展示館展示。
文化財
編集国の史跡
編集- 上総国分尼寺跡 - 昭和58年8月30日指定、昭和61年1月23日に指定範囲の追加指定[9]。
現地情報
編集所在地
- 千葉県市原市国分寺台中央3丁目5-2 (北緯35度30分00.28秒 東経140度07分05.84秒 / 北緯35.5000778度 東経140.1182889度座標: 北緯35度30分00.28秒 東経140度07分05.84秒 / 北緯35.5000778度 東経140.1182889度)
開館・入場時間
- 午前9時-午後5時 - 展示館開館時のみ史跡に入場可能。月曜日と年末年始は休館。
交通アクセス
周辺
脚注
編集- ^ “国分尼寺跡は最大 敷地12万平方メートル 柱の位置まで判明 遺跡発表会報告”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1990年3月7日)
- ^ a b 上総国分尼寺跡(平凡社) & 1996年.
- ^ “尼寺の“すべて”出土 上総国分尼寺跡 完全復元は全国初”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 22. (1989年6月29日)
- ^ “市原の上総国分尼寺跡 主要伽藍の構造、全容解明 建物跡の木造復元可能に”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 24. (1989年7月13日)
- ^ “房総おもしろ博物館図鑑 史跡上総国分尼寺跡展示館”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 30. (1995年5月26日)
- ^ “よみがえる天平ロマン 市原・国指定史跡 国分尼寺跡を整備 朱塗りの大柱が現代に”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1992年2月29日)
- ^ “市原・上総国分尼寺跡中門 奈良時代の姿をそのままに木造復元 回廊、鐘楼も計画”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 18. (1993年2月17日)
- ^ “『上総国分尼寺跡展示館』きょうから公開 木造復元中門 創建当時そのままに”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1993年8月1日)
- ^ 上総国分尼寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
参考文献
編集- 上総国分尼寺跡公式パンフレット
- 「上総国分尼寺跡」『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』平凡社、1996年。ISBN 4582490085。
外部リンク
編集- 上総国分尼寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 国指定史跡上総国分尼寺跡 - 市原市ホームページ