ヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世)
ヴァシリー・ミハイロヴィチ(ロシア語: Василий Михайлович、1364年 - 1426年?)は、史上最後のカシン公である。在位:1389年 - 1426年(クスニャティン公を兼ねる)。なお、カシン公には同名・同父称の人物が3名おり、初代カシン公ヴァシリー、4代目カシン公ヴァシリーと区別するため、「Василий Михайлович Ⅲ(ヴァシリー・ミハイロヴィチ3世)」と記述されることがある [1]。
ヴァシリー・ミハイロヴィチ Василий Михайлович | |
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カシン公 | |
在位 | 1389年 - 1426年 |
出生 |
1364年 |
死去 |
1426年? |
配偶者 | アナスタシヤ |
家名 | リューリク家 |
父親 | トヴェリ大公ミハイル |
母親 | エヴドキヤ・コンスタンチノヴナ |
ヴァシリーはトヴェリ大公ミハイルとその妻エヴドキヤ(スーズダリ公コンスタンチン(ru)娘)との間の子である。1399年に父ミハイルが死ぬと、カシン(カシン公国)、クスニャティンを受領した。
1426年にトヴェリ大公となったボリス(ru)に捕縛され、カシン公位を剥奪された。ヴァシリ-のその後は不明である。ヴァシリー以降、カシン公が立てられることはなかった。
妻アナスタシヤはキエフ公ヴラディミラス(リトアニア大公国アルギルダス家)の娘で、1396年に死亡した。また、ドミトリーという息子がいた。
出典
編集- ^ Экземплярский А. В. Великое княжество Тверское с его уделами
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