ロシアのクリミア侵攻
2014年クリミア危機 > ロシアのクリミア侵攻
ロシアのクリミア侵攻(ロシアのクリミアしんこう)は、2014年ウクライナ騒乱が発生して以来、ロシア連邦がウクライナ領のクリミア自治共和国に対して開始した軍事侵攻。
ロシアのクリミア侵攻 | |||||||
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2014年クリミア危機中 | |||||||
クリミア半島の地図 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
ロシア連邦 | ウクライナ | ||||||
指揮官 | |||||||
ウラジーミル・プーチン |
オレクサンドル・トゥルチノフ ペトロ・ポロシェンコ | ||||||
部隊 | |||||||
戦力 | |||||||
空挺兵2,000[1] |
経緯
編集2014年2月27日、所属不明の武装勢力がクリミア自治政府の庁舎と議会を占拠。翌2月28日には首都シンフェロポリの空港が占拠された。
武装勢力が占拠する中でクリミア議会はウクライナの暫定政権を承認した自治共和国首相アナトリー・モギリョフを解任し、その後任として親露派のセルゲイ・アクショーノフを任命した。クリミア議会による自治共和国首相の解任・任命は自治共和国憲法で規定されているウクライナ大統領の同意を得ず、モギリョフの解任とアクショーノフの選出は武装勢力が議会を封鎖する中で非公開で行われ、出席した議員の数は定数の半数以下だった。
3月1日、クリミアのロシア系住民がロシアへの庇護を求めたのに応じて[2]、ロシア上院はロシア軍がウクライナおよびクリミア自治共和国で、同国の社会、政治情勢が正常化するまで軍事力を行使することを承認した[3]。
ロシア軍はクリミア半島の一部の施設を占拠して半島を実効支配[4][5]し、3月2日にはウクライナ海軍総司令官であったデニス・ベレゾフスキー提督がロシアへと亡命した[6][注釈 1]。
他国の反応
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d “Russia Stages a Coup in Crimea”. The Daily Beast. (03.01.14)
- ^ 「ロシア軍歓迎」 クリミア住民連呼 - ウェイバックマシン(2014年3月10日アーカイブ分)
- ^ 「露上院が対ウクライナ軍事力行使を承認」『ロシアNOW』2014年3月3日。
- ^ 「ロシア議会がウクライナへの軍事介入承認-大統領の要請受け」『Bloomberg Japan』2014年3月2日。
- ^ 「UPDATE 2-ウクライナが戦闘準備態勢 ロシア軍、クリミア半島を掌握」『Reuters Japan』2014年3月3日。
- ^ 「ウクライナ海軍総司令官が投降、親ロシア派に忠誠」『Reuters Japan』2014年3月2日。
- ^ 「ウクライナ巡り米ロ首脳電話会談」『NHK』2014年3月2日。2014年3月4日閲覧。
- ^ 「G7がロシア非難の声明、ソチG8をボイコット」『読売新聞』2014年3月3日。2014年3月4日閲覧。
関連項目
編集- ブダペスト覚書
- アルマ・アタ宣言 (1991年) - 現在の国境の不可侵をうたっている。
- 2014年クリミア危機
- ウクライナ紛争 (2014年-)
- 2022年ロシアのウクライナ侵攻