ロイド・デイヴィッドソン・ブラウン英語: Lloyd Davidson Brown, 1892年7月28日 - 1950年2月17日)は、アメリカ合衆国の軍人。アメリカ陸軍の将校として第28歩兵師団英語版長などを歴任した。最終階級は少将。

ロイド・D・ブラウン
Lloyd D. Brown
第28歩兵師団長を務めていた頃のブラウン少将。
生誕 (1892-07-28) 1892年7月28日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ジョージア州シャロン英語版
死没 1950年2月17日(1950-02-17)(57歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ジョージア州ワシントン英語版
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴 1917年 - 1948年
最終階級 少将(Major General)
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入隊まで

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1892年、ジョージア州シャロンにて生を受ける[1]。1908年には同州オーガスタリッチモンド郡学院英語版、1912年にはジョージア大学をそれぞれ卒業している。在学中には友愛組織ファイ・デルタ・シータ英語版およびファイ・ベータ・カッパの会員になっている。大学卒業後はジョージア州軍学校英語版へ進学した[2]

第一次世界大戦

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1917年、ブラウンは陸軍歩兵科少尉に任官し、第26歩兵師団英語版に配属された[3]第一次世界大戦中はフランス戦線に派遣され、第5歩兵師団英語版第61歩兵連隊英語版G中隊長を務めた[4]

第一次世界大戦後

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終戦後、ブラウンはジョージア州ゲインズビルリバーサイド軍学校英語版で軍事科学分野の教授を務めたほか、フィリピン駐屯の第45歩兵連隊英語版で中隊長や連隊付計画・作戦・訓練幕僚として勤務した[5][6]

1923年に歩兵将校課程、1928年に上級歩兵課程を修了し、1930年には指揮幕僚大学を卒業した[7]

1930年代後半、ブラウンは州兵総局英語版に配属され、イリノイ州軍英語版第131歩兵連隊英語版にて顧問および教官を務めた[8][9]

第二次世界大戦

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第二次世界大戦勃発時、ブラウンは陸軍省に勤務していた。その後、地上軍英語版本部で作戦・訓練参謀長補を務める[10]。戦時体制下で陸軍が拡大する中、ブラウンは州兵の上層部を占める古参将校らに低い勤務評価を与え、より評価の高い連邦軍将校を招いて彼らを優遇するという手法を推奨していた為に非難を受けた[11][12][13][14]

1942年、第102歩兵師団英語版の師団長補に就任し、これに合わせて准将への一時昇進を受けている[15]

1943年2月、オマール・ブラッドレーの後任として第28歩兵師団英語版の師団長に就任し、少将への一時昇進を受けた。ブラウン指揮下の第28歩兵師団はイングランドで訓練を行った後、コブラ作戦におけるノルマンディー攻撃に参加した。1944年8月、攻勢の遅れを理由に師団長を解任される[16]

ブラウンへの評価は一定しない。第19軍団英語版司令官チャールズ・コーレット英語版将軍はブラウンについて、病気と「衰え」(rundown)の為に医療休暇が必要だと考えていた。ブラウンの指揮下にあったある大隊長は、ブラウンが戦闘において大部隊を率いようと試みなかったと回想した上、彼を指して「半狂乱」(frantic)と評した。前任者でもある第12軍集団英語版司令官ブラッドリー将軍や連合国遠征軍最高司令部司令官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍は、ブラウンを勇敢ではあるものの、将兵を鼓舞することができない指揮官だと評価しており、それ故に彼の部隊が十分な働きを示せなかったのだと考えていた。通常、師団長を解任された将校はその後も他隊で指揮を執ることが多い。ところが、ブラウンの場合はアイゼンハワーから陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル将軍に対し、「ブラウンを指揮官に復帰させるべきではない」という助言が行われたのである[17]

大佐の階級に復帰したブラウンは幕僚や歩兵学校訓練監督などを務め、1948年に退役するまで部隊の指揮を執らなかった[18]。1949年、退役者名簿に掲載されるにあたって少将に昇進している[10][19]

受章

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ブラウンは陸軍将校として銀星章レジオン・オブ・メリットを受章しているほか、フォート・ベニングには彼の名に因んだロイド・ブラウン・ホール(Lloyd Brown Hall)がある[20][21][22][23]

ブラウンはジョージア州ワシントン英語版の1814年頃に建てられたライトナー=ノリス・ホーム(Leitner-Norris Home)という邸宅に暮らしていた。この建物は個人所有の邸宅だが、地元の歴史的建造物に指定されている[24]

死去

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1950年2月17日、ワシントンにて死去した。遺体は同地のレステーブン墓地(Resthaven Cemetery)に埋葬された[25][26][27]

家族

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最初の妻ベニータ・アレン(Benita Allen, 1895年 - 1925年)とは1919年に結婚した。1929年、キャサリン・グリーン・ブラウン(Katherine Green Brown, 1895年 - 1981年)と再婚した[28][29][30] 最初の妻ベニータとの間には息子アレン・デイヴィッドソン・ブラウン(Allen Davidson Brown, 1925年 - 2001年)があった[31][32]

脚注

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  1. ^ Marquis Who's Who, Who Was Who in American History: The Military, 1975, page 68
  2. ^ George Fuller Walker, Persons Lineage, 1951, page 106
  3. ^ Army and Navy Register, Assignments of Officers, July 14, 1917, page 5
  4. ^ Sarah Cantey Whitaker Allen, Our Children's Ancestry, 1935, page 437
  5. ^ Army and Navy Register, The Army: Infantry, October 16, 1920, page 406
  6. ^ U.S. Army Adjutant General, Officers of the Army, April 1931, page 173
  7. ^ U.S. Army Adjutant General, Official U.S. Army Register, 1946, page 87
  8. ^ United States Infantry Association, Infantry Journal, Volume 44, 1937, pages 356, 457
  9. ^ Illinois Military and Naval Department, National Guard Bureau Circular, 1938, page 143
  10. ^ a b William C. Sylvan, Francis G. Smith Jr., Normandy to Victory: The War Diary of General Courtney H. Hodges, 2009, Chapter 2, Footnote 14
  11. ^ Kent Roberts Greenfield, Robert R. Palmer and Bell I. Wiley, United States Army in World War II: The Army Ground Forces, The Organization of Ground Combat Troops, 1987, page 13
  12. ^ Michael E. Weaver, Guard Wars: The 28th Infantry Division in World War II, 2010, page 117
  13. ^ Jim Dan Hill, The Minute Man in Peace and War: A History of the National Guard, 1964, page 414
  14. ^ George Catlett Marshall, author, Larry I. Bland, Sharon Ritenour Stevens, editors, The Papers of George Catlett Marshall: "The Right Man for the Job”, December 7, 1941-May 31, 1943, 1991, pages 220, 226
  15. ^ Paris (Texas) News, Assistant Division Commander For Maxey Reports, August 14, 1942
  16. ^ Michael E. Weaver, Guard Wars: The 28th Infantry Division in World War II, 2010, page 144
  17. ^ Andrew Rawson, The Divisional Commander in the U.S. Army in World War II: A Case Study of the Normandy Campaign, 6 June 1944 to 24 July 1944, 2011, pages 128-129
  18. ^ Army and Navy Journal, Incorporated, Armed Forces Journal International, Volume 84, Issues 1-26, 1946, page 274
  19. ^ Army and Navy Journal, Inc., Army and Navy Journal, Volume 86, Issues 1-26, 1948, page 474
  20. ^ U.S. Army Adjutant General, Official U.S. Army Register, 1947, page 138
  21. ^ U.S. Army Adjutant General, Official U.S. Army Register, 1949, page 630
  22. ^ Home of Heroes, U.S. Army Awards of the Silver Star in World War II, entry for Brown, Lloyd D., XIX Corps, retrieved April 2, 2014
  23. ^ Janet Harvill Standard, The Historic Homes of Washington, Georgia, 1973, page 28
  24. ^ Georgia Realty Sales.com, The Leitner-Norris Home on Alexander, c.1814, retrieved April 2, 2014
  25. ^ Georgia Death Listings, 1919-98, 1950 entry for Lloyd D. Brown, retrieved April 2, 2014
  26. ^ U.S. Army, Headstone Applications for Military Veterans, 1925-1963], 1950 entry for Lloyd Davidson Brown, retrieved April 2, 2014
  27. ^ Lloyd Davidson Brown at Find A Grave
  28. ^ Katherine Green Brown at Find A Grave
  29. ^ Sarah Cantey Whitaker Allen, Our Children's Ancestry, 1935, pages 436-437
  30. ^ Benita Allen Brown at Find A Grave
  31. ^ Savannah Morning News, Obituary: Allen D. Brown, May 5, 2001
  32. ^ U.S. Social Security Death Index, 1935-Current, 2001 entry for Allen D. Brown, retrieved April 2, 2014