レム色
レム色(レムいろ)は、渡辺剛太と唐沢拓磨からなる日本のお笑いコンビ。どちらも東京都出身で、東京都立西高等学校の同級生。所属芸能事務所はげんしじん事務所。2008年3月解散。
レム色 | |
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メンバー |
渡辺剛太 唐沢拓磨 |
結成年 | 2003年1月 |
解散年 | 2008年3月 |
事務所 | げんしじん事務所 |
活動時期 | 2003年 - 2008年 |
現在の活動状況 | 解散(渡辺は野球記者、唐沢はピンで活動) |
芸種 | コント、回文ネタ ほか |
ネタ作成者 | 渡辺剛太 |
現在の代表番組 | なし |
過去の代表番組 |
爆笑オンエアバトル など |
プロフィール
編集渡辺剛太(わたなべ ごうた)
唐沢拓磨(からさわ たくま)
概要
編集2002年、唐沢が渡辺を誘いコンビ結成。大学の卒業が決まっていた渡辺は最初、一浪したため当時大学3年生だった唐沢に気を遣い「卒業まで待つ」と言ったが、唐沢はすでに中退していた。
当初はコントなども行っていたが、渡辺の特技である回文ネタが徐々にウケだし、回文ネタでM-1グランプリの準決勝にまで進出して、それ以後は主に回文ネタとなる。「右手バテ気味」などの自分たちで考えた回文とそのイラストの描かれた画用紙を持ち、コントを前フリとして、渡辺→唐沢の順に回文を読み上げる。回文ネタの絵は自分で描いているがエンタの神様出演時には番組で用意されたイラストを使用していた。
『笑いの金メダル』の「勝ち抜きワンミニッツショー!」では番組レギュラーのくりぃむしちゅーやMie、安田大サーカスなどのネタを披露するが、若井おさむに敗れた。ちなみに、若井おさむも同じく『機動戦士ガンダム』に登場する衣装だった。
ちなみにレム色のコンビ名の由来は、当時昼まで寝ていた生活からレム睡眠の『レム』・当時流行っていたゆずの『夏色』から『色』を取ったものである。
2008年3月24日に解散を発表。『フラッシュエキサイティング』(光文社)2008年5月5日号の取材がレム色としての最後の仕事になった。渡辺は翌2009年からスポーツニッポン新聞社に入社、東京本社編集センターや福島支局を経て2014年10月よりプロ野球担当記者となった[1]。転職後も記事の見出しにて回文を使うことがある。その後スポーツニッポン新聞社を退社し、作家に転身。主な著作に『え、この声 え?この声 え、この声』がある[2]。
唐沢はピンで『ぐたく』名義で活動。後にげんしじん事務所を退所してフリーで活動していたが、しばらくして活動が見られなくなり、2022年時点で消息は不明となっている。
芸歴
編集- 2003年1月 コンビ結成
- 2004年5月 げんしじん事務所に所属
- 2008年3月 解散
テレビ・ラジオ
編集- 2004年
- 2005年
- 文化放送「吉田照美のやる気MANMAN!」
- テレビ朝日「全国一斉○○テスト 芸人雑学王No.1決定戦!!スペシャル」予選
- 日本テレビ「エンタの神様」 キャッチコピーは「言葉の逆立ち戦士」
- NHK総合「爆笑オンエアバトル」戦績8勝4敗 最高481KB
- NHK BS-2「あなたと作る時代の記録 映像の戦後60年」
- NHK ハイビジョン「あなたと作る時代の記録 映像の戦後60年」
- 文化放送「辻よしなり ラジオグラフィティ」
- シティテレビ中野「ゴー!ゴー!!5チャンネル」
- 2006年
- 2007年
- 日本テレビ「ぐるぐるナインティナイン」
雑誌・新聞
編集携帯サイト
編集写真展
編集著書
編集DVD
編集- グレードコミュニケーション「お笑いスター(予定)名鑑」4
- YOSHIMOTO WORKS (R and C) 「M-1グランプリ2004」
脚注
編集- ^ 「元・回文芸人記者」が見るキャンプ、ソフトB編「うそ!?工藤独走!?」2015年2月2日付スポーツニッポン 2015年2月2日閲覧
- ^ “え、この声 え?この声 え、この声 (単行本) - 渡辺 剛太”. Amazon.co.jp. 2022年7月9日閲覧。