ルシリオ・デ・アルブケルケ
ブラジルの画家
(ルシリョ・デ・アルブケルケから転送)
ルシリオ・デ・アルブケルケ(Lucílio de Albuquerque、1877年5月9日 - 1939年4月19日)は、ブラジルの画家である。
ルシリオ・デ・アルブケルケ Lucílio de Albuquerque | |
---|---|
自画像 | |
生誕 |
1877年5月9日 ブラジル、Barras |
死没 |
1939年4月119日 (62歳没) ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ |
略歴
編集ブラジル北部、ピアウイ州のBarrasで、法律家の息子に生まれた[1] 。サンパウロの学校で短期間、法律を学んだ。1890年代半ばにリオ・デ・ジャネイロの国立美術学校(Escola Nacional de Belas Artes)に入学し、ジョアン・ゼフェリーノ・ダ・コスタ、ロドルフォ・アモエド、エンリケ・ベルナルデリらに学び、国立美術学校の留学奨学金が得られる賞を受賞した。美術学校の学生であったジョルジーナと結婚した後、1906年末に夫婦でフランスに出発し、5年間フランスに滞在した。 パリでは、アカデミー・ジュリアンで学びマルセル・バシェやアンリ・ロワイエ、ジャン=ポール・ローランスの指導を受けた[2]。10年ほど前にパリに留学したブラジルの画家エリゼウ・ヴィスコンティと同じようにアール・ヌーヴォーのデザイナー、ウジェーヌ・グラッセの指導を受けた。フランス芸術家協会の展覧会に出展し、評価された。
1911年にリオデジャネイロに戻り、国立美術学校で妻と展示会を開き、同じ年に国立美術学校で人物画を教え始め、1916年に教授の称号を得た。ブラジル全国美術展(Exposições Gerals de Belas Artes)では何度も賞を受賞した。1937年国立美術学校の校長になったが、1年後に健康の問題で辞職した[2]。
多作の画家で風景画や肖像画を描いた。暗い色調の写実的なスタイルや印象派のようなスタイルなど、様々なスタイルの作品を残した。
作品
編集-
フランスの風景 (1906)
-
セーヌ川 (1909)
サンパウロ美術館 -
黒人の母親 (1912)
Museu de Arte da Bahia -
サン・ジョアン・デル・レイの風景
Museu Mariano Procópio
-
サムソンとデリラ(1903)
-
"Flamboyants" (c.1928)
-
ミナスジェライス州の街の風景 (1920年代)
脚注
編集- ^ Biography and appreciation Archived 2014-11-02 at the Wayback Machine. @ Pitoresco.
- ^ a b Brief biography @ the Enciclopédia Itaú Cultural.
参考文献
編集- Luís de Albuquerque, Lucílio de Albuquerque: exposicao retropectiva (Exhibition catalog), Museu Nacional de Belas Artes, Serviço Gráfico do Ministério da Educação e Saude, 1940