ルクレツィア・バルベリーニ
ルクレツィア・バルベリーニ(Lucrezia Barberini, 1628年10月24日 - 1699年8月24日)は、イタリアのモデナ公フランチェスコ1世・デステの3番目の妻。
ルクレツィア・バルベリーニ Lucrezia Barberini | |
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モデナ=レッジョ公妃 | |
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在位 | 1654年 - 1658年 |
出生 |
1628年10月24日 教皇領、ローマ |
死去 |
1699年8月24日(70歳没) モデナ=レッジョ公国、モデナ |
埋葬 | モデナ=レッジョ公国、モデナ |
結婚 | 1654年10月14日 サントゥアリオ・デッラ・サンタ・カーザ |
配偶者 | フランチェスコ1世・デステ |
子女 | リナルド |
家名 | バルベリーニ家 |
父親 | タッデオ・バルベリーニ |
母親 | アンナ・コロンナ |
生涯
編集教皇ウルバヌス8世の甥にあたるパレストリーナ公タッデオ・バルベリーニと、その妻でパリアーノ公フィリッポ1世・コロンナの娘であるアンナ・コロンナ(1601年 - 1658年)の間の第1子、長女[1] 。
1654年10月14日、ロレートのサントゥアリオ・デッラ・サンタ・カーザにおいて、フランチェスコ1世と結婚した[2]。夫は既にマリーア・ファルネーゼとその妹のヴィットーリア・ファルネーゼと死別し、これが3度目の結婚であった。この縁組は、カストロ戦争で互いに敵方について戦ったエステ家とバルベリーニ家の間の対立関係を解消するための政略結婚だった[3]。夫妻の間には1人息子のリナルド(1655年 - 1737年)が生まれ、リナルドは1694年にモデナ公爵家の家督を継いでいる。
脚注
編集- ^ Worldroots: Barberini
- ^ Papal Genealogy: The Families And Descendants Of The Popes by George L. Williams (McFarland, 2004)
- ^ Penny cyclopaedia of the Society for the diffusion of useful knowledge, Volume 3 (C. Knight, 1835)