リーゼル・プリツカー・シモンズ

アメリカ合衆国の慈善家、女優

リーゼル・プリツカー・シモンズ(Liesel Pritzker Simmons、1984年3月14日[1] - )は、アメリカ合衆国の慈善家、女優である。富豪プリツカー家の一員である。

リーゼル・プリツカー・シモンズ
Liesel Pritzker Simmons
リーゼル・プリツカー・シモンズ(2019年)
生誕 Liesel Anne Pritzker
(1984-03-14) 1984年3月14日(40歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
別名 リーゼル・マシューズ(芸名)
教育 コロンビア大学
職業 慈善家、女優
活動期間 1995–2000
純資産 増加 5億ドル
配偶者 イアン・シモンズ
ロバート・プリツカー英語版(父)
親戚 A・N・プリツカー(祖父)
マシュー・プリツカー英語版(同母兄)
ジェニファー・N・プリツカー(異母姉)
リンダ・プリツカー(異母姉)
カレン・プリツカー英語版(異母姉)
その他はプリツカー家を参照
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子供の頃からリーゼル・マシューズ(Liesel Matthews)の芸名で女優として活動している。2012年にインパクト投資英語版を行う団体、ブルー・ヘブン・イニシアティブ英語版を設立した。

若年期と教育

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リーゼル・アン・プリツカー(Liesel Anne Pritzker)として1984年イリノイ州シカゴで生まれた。

父はロバート・プリツカー英語版、母はその2番目の妻のアイリーン・ドライバーグである[2][3]。父ロバートはその兄のジェイ・プリツカーと共にマーモン・グループを設立した。父はユダヤ系アメリカ人で、母はオーストラリア出身である[2][3]。同母兄にマシュー英語版、父の1人目の妻、オードリー・ギルバートとの間の異母姉にジェニファーリンダカレン英語版がいる。

リーゼルは、A・N・プリツカーの13人の孫の一人である。伯父のジェイ・プリツカーは、ハイアットホテルチェーンを創設し、1983年から1988年までブラニフ航空を保有していた。一族は信用調査機関トランスユニオン英語版や、クルーズ船を運行するロイヤル・カリビアン・インターナショナルを保有する[4][5]。プリツカー家は、『フォーブス』が1982年から発表しているアメリカの富豪一族の一覧に常に掲載されている。

リーゼル(Liesel)という名前は、『サウンド・オブ・ミュージック』に登場する7人兄弟の長女、リーズル・フォン・トラップ(Liesl von Trapp)に因んで名付けられた[6]

両親は、プリツカー家が保有するオーストラリアのハイアットホテルで父が仕事をしている時に知り合い、1980年に結婚したが、1989年に離婚した[3]。リーゼルは母親に引き取られ、母が映画プロデューサーのジェームズ・J・バグリー(James J. Bagley)と再婚したことにより、リーゼル・プリツカー=バグリー(Liesel Pritzker-Bagley)と名乗るようになった[1]

リーゼルは、シカゴ郊外にあるニュートリアー高校を卒業してコロンビア大学に入学し、2006年に卒業した[7][8]

女優

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リーゼルは子供の頃から、リーゼル・マシューズ(Liesel Matthews)の芸名で映画や舞台作品に出演している。映画『リトル・プリンセス』への出演の際、実父が、本名のリーゼル・プリツカー=バグリーではなくリーゼル・プリツカーの名前を使用することを要求し、要求が通らないなら出演させないと脅迫したため、この意見を排除するために兄マシューの名前から取ってマシューズを芸名とした[1][9]

初めて出演した作品は、シカゴで上演された『アラバマ物語』(To Kill A Mockingbird)の舞台化作品で、主役のスカウト・フィンチを演じた。その後、『ヴィンセント・イン・ブリクストン英語版』(Vincent in Brixton)の演技でシアターワールド賞英語版を受賞した。

アルフォンソ・キュアロン監督による1995年の『小公女』の映画化作品『リトル・プリンセス』で主役のサラ・クルーを、ウォルフガング・ペーターゼン監督による1997年の映画『エアフォース・ワン』で、ハリソン・フォード演じる主人公の娘アリス・マーシャルを演じた[10]

現在は、映画からは引退して舞台作品のみ出演している[1]。2002年、ロンドンで上演されたニール・ラビュート脚本の舞台作品"The Distance from Here"で、主人公のジェンを演じた[11]

訴訟

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1999年に亡くなった伯父ジェイ・プリツカーの遺産は一族の共有として信託基金にされていたが、自分と兄マシューの分を不正に流用したとして、大学在学中の2002年、父と11人の親族に対し60億ドルの訴訟を起こした。2005年初頭に和解し、一族の財産が11分割されることとなった。これによって、フォーブス400にプリツカー家から11人が入ることとなり、単一の家系からの掲載数で過去最大となった[12]。この和解により、リーゼルとマシューはそれぞれ、約2億8千万ドルの現金と約1億7千万ドル相当の別の信託の管理権を受け取った[5]

慈善活動

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リーゼルは、Young Ambassadors for Opportunity(YAO)を創設した。この組織は、マイクロファイナンスオポチュニティ・インターナショナル英語版の活動について、他の人に教育し、啓発をすることを目的とした、若手専門家のネットワークである。2009年6月、アフリカでのマイクロファイナンスの拡大の支援のために、オポチュニティ・インターナショナルに400万ドルを寄付した[13]

また、IDP財団やブルー・ヘブン・イニシアティブ英語版を共同で設立した [14][15]

私生活

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リーゼルはイアン・シモンズ(Ian Simmons)と結婚し、夫とともにボストン近郊に住んでいる[16][17]

出演作品

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タイトル 備考
1995年 リトル・プリンセス
A Little Princess
サラ・クルー 第17回ヤング・アーティスト賞英語版 最優秀長編映画主演女優賞 ノミネート
1997年 エアフォース・ワン
Air Force One
アリス・マーシャル
2000年 ブラスト
Blast
ジェシー(イアーズ)

脚注

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  1. ^ a b c d Liesel Matthews”. IMDb. 2022年3月5日閲覧。
  2. ^ a b Worthy, Ford; Hutton, Cynthia (April 25, 1988). “The Pritzkers Unveiling A Private Family Can you believe it? These billionaires actually like each other. But as Pritzkers proliferate, a worry arises: Can they maintain their striking success – and keep everyone happy?”. CNN Money. https://money.cnn.com/magazines/fortune/fortune_archive/1988/04/25/70462/index.htm August 29, 2010閲覧。 
  3. ^ a b c Carlyle, Erin (December 2, 2013). “Liesel Pritzker Simmons Sued Her Family And Got $500 Million, But She's No Trust Fund Baby”. Forbes. 2022年3月5日閲覧。 “Liesel's mother, Irene, who became Robert Pritzker's second wife after meeting him while working for a Hyatt hotel in Australia, filed for divorce in 1989 after nine years of marriage.”
  4. ^ Ackman, Dan (December 11, 2002). “Liesel Pritzker, Meet Meadow Soprano”. Forbes. https://www.forbes.com/2002/12/11/cx_da_1211topnews.html October 23, 2007閲覧。 
  5. ^ a b Maremont, Mark (January 9, 2005). “How a little princess won back her inheritance”. The Sydney Morning Herald. http://www.smh.com.au/articles/2005/01/08/1104832359888.html October 23, 2007閲覧。 
  6. ^ Mackie, Drew (May 10, 2015). “Where's "Little Princess" Star Liesel Pritzker Simmons, Twenty Years Later”. People. 2022年3月5日閲覧。
  7. ^ Andrews, Suzanna. “Shattered Dynasty” (英語). Vanity Fair. 2020年12月13日閲覧。
  8. ^ Columbia Daily Spectator 7 February 2003 — Columbia Spectator”. spectatorarchive.library.columbia.edu. 2020年12月13日閲覧。
  9. ^ David Brooks (December 13, 2002). “Little Princess Lost”. The Daily Standard. October 23, 2007閲覧。
  10. ^ Spencer, Ashley (2020年2月19日). “What Happened to 'A Little Princess' Star Liesel Matthews?” (英語). Vice. 2020年2月23日閲覧。
  11. ^ Liesel Matthews - Other works”. IMDb. August 6, 2015閲覧。
  12. ^ Kroll, Lisa (October 24, 2007). “Billionaire Family Feuds”. Forbes.com. オリジナルのOctober 26, 2007時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071026072325/http://www.forbes.com/business/2007/10/22/billionaires-lawsuits-pritzker-biz-cz_lk_1022billiefeuds.html November 5, 2007閲覧。 
  13. ^ Liesel Pritzker Donates $4 Million to Opportunity International To Help Expand Microfinance Services in Africa”. Opportunity International. August 6, 2015閲覧。
  14. ^ About”. idpfoundation.org. July 11, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。August 6, 2015閲覧。
  15. ^ Member of the Synergos Board of Directors: Liesel Pritzker Simmons”. synergos.org. August 6, 2015閲覧。
  16. ^ Liesel Pritzker Simmons, Co-Founder & Principal - Blue Haven Initiative”. 2016年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月13日閲覧。
  17. ^ http://www.philanthropyforum.org/conferences/2012/speakers/liesel-pritzker-simmons.html Archived April 13, 2012, at the Wayback Machine.

外部リンク

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