ランキン・タクシー
ランキン・タクシー(英: RANKIN TAXI、1953年2月9日 - )は、日本のレゲエミュージシャン。サウンドシステム「タクシー・ハイファイ(Taxi Hi-Fi)」オーナー。本名は白濱 隆[1]。
ランキンタクシー | |
---|---|
基本情報 | |
出生名 | 白濱 隆 |
生誕 | 1953年2月9日(71歳) |
出身地 | 日本 神奈川県横浜市 |
ジャンル | レゲエ |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1989年 - |
レーベル | RIDDIM ZONE |
概略
編集横浜国立大学卒業後[4]、建設会社に技師として勤務していたが、30歳を過ぎてからレゲエと出会い1991年、ワーナーミュージック・ジャパンよりメジャーデビュー。政治問題にも関心を持っており、日米地位協定破棄、脱原発等を主張する左派色の強い作品も残している。
児童の権利に関する条約が日本でも発効した1994年には「『子どもの権利条約』を子どもへ」と題した曲を歌い、小学校で特別授業をおこない、その模様を収録した同名のビデオが保坂展人の監督で作成された[1][5]。
東日本大震災後に発表した「原発がっかり音頭」の歌詞の内容を、被災者を揶揄したものだとされ、被災者や[要出典]脱原発支持派からも強い批判を浴びた。
大麻の規制緩和について明言しており、合法化を求める内容の作品「マリファナ音頭」(2012年)などを発表しているほか、毎年5月に東京で開催されるパレード「マリファナマーチ」では例年MCを務めている。
ディスコグラフィ
編集シングル
編集- 見た目が大事(1991年7月25日)
- 言い出せなかった秘密(1991年11月28日)
- ハリケーン・ラブ(1995年5月19日)
- 今夜はB-13(1996年6月21日)
- タワワ・ギャル・ソカ~お宝ガールズ~(2002年8月7日)
- マリファナ音頭 (2005年9月10日)
アルバム
編集- 火事だぁ(1989年12月10日)インディーズアルバム
- ワイルドで行くぞ(1991年3月25日)
- さっすがぁスティーブン~ワイルド・ダブ・アルバム(1991年11月28日)
- アワワ(1992年11月28日)
- ランキン・タクシー全発言記録(1994年4月25日)ベストアルバム
- Ruff Biz Today(1995年7月21日)
- WA TA TING(1996年7月19日)
- スーパー・ランキン・タクシー(1998年8月26日)ベストアルバム
- エイ ヨウ ヤロオ(2002年11月27日)
- Oyajinal Best(2005年7月6日)ベストアルバム
- アミシャツ魂(2005年7月20日)
- 百人組手part.2 RANKIN TAXI version(2006年7月20日)
- Let's Go Rockers(2006年9月13日)
- 死ぬまで生きる(2008年3月26日)
その他
編集- H-MAN「戦争やだな feat.RANKIN TAXI」
- 川上つよしと彼のムードメイカーズ「Daydream Believer feat.Ryoji & Rankin’Taxi」
- JABROCK「ZUGU ZUGU ZUUM feat.RANKIN TAXI」
- Home Grown「恋のダブル・ブッキング(:_;)feat.RANKIN TAXI & Leyona」
脚注
編集- ^ a b 阿部八重子 (1994年7月18日). “「子どもの権利条約」歌やマンガで受け皿作り(きょういく94)”. 朝日新聞・朝刊: p. 11 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “[DISK情報]ポップス パティ・スミスの「ゴーン・アゲイン」ほか”. 読売新聞・東京夕刊: p. 8. (1996年8月17日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ 棚部秀行 (2004年8月21日). “レゲエのリズム、盆踊り熱くアツく--きょうから仙台・錦町公園”. 毎日新聞・宮城: p. 23 - 毎索にて閲覧
- ^ “大麻 禁じられた歴史と医療への未来 刊行記念 大麻のはなし Vol.2 – LOFT PROJECT SCHEDULE”. www.loft-prj.co.jp. 2021年4月15日閲覧。
- ^ “人権啓発ビデオ詳細データ 題名「子どもの権利条約」を子どもへ”. 静岡県人権啓発センター. 2018年7月20日閲覧。
外部リンク
編集- RANKIN TAXI(ランキン・タクシー) - RIDDIM ZONE
- rankintaxi (@rankintaxi) - X(旧Twitter)
- ランキン・タクシー - Myspace