ヨハンナ・ガブリエーラ・フォン・エスターライヒ
ヨハンナ・ガブリエーラ・フォン・エスターライヒ(Johanna Gabriela von Österreich, 1750年2月4日 - 1762年12月23日)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの間の第11子、八女。全名はマリア・ヨハンナ・ガブリエーラ・ヨーゼファ・アントニア(Maria Johanna Gabriela Josepha Antonia)。
ヨハンナ・ガブリエーラ・フォン・エスターライヒ Johanna Gabriela von Österreich | |
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出生 |
1750年2月4日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
死去 |
1762年12月23日(12歳没) 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂 |
家名 | ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
父親 | フランツ1世 |
母親 | マリア・テレジア |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
愛らしく気立ての優しい性格で、家族や宮廷の人々から広く愛された。1歳年下の妹マリア・ヨーゼファと仲が良く、2人で子供部屋や養育係(Aja)を共用していた。1762年に天然痘のため12歳で死去した。遺骸はカプツィーナー納骨堂に安置されたが、心臓だけは切り取られてウィーン・アウグスティナー教会内のロレート礼拝堂の、ハプスブルク家の成員の心臓を安置する部屋に保管された。
参考文献
編集- Friedrich Weissensteiner: Die Töchter Maria Theresias. Kremayer & Scheriau. 1991
- Gigi Beutler: Die Kaisergruft, Wien 2001