マリア・アマーリエ・フォン・エスターライヒ
マリア・アマーリエ・フォン・エスターライヒ(ドイツ語: Maria Amalie von Österreich, 1701年10月22日 - 1756年12月11日)は、神聖ローマ皇帝カール7世(バイエルン選帝侯カール・アルブレヒト)の妃。皇帝ヨーゼフ1世と皇后アマーリア・ヴィルヘルミーネの次女(末子)。姉はザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世妃マリア・ヨーゼファ。
マリア・アマーリエ・フォン・エスターライヒ Maria Amalie von Österreich | |
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神聖ローマ皇后 ボヘミア王妃 | |
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在位 | 1742年1月24日 ‐ 1745年1月20日 |
別称号 |
バイエルン選帝侯妃 オーストリア大公女 |
出生 |
1701年10月22日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、ホーフブルク宮殿 |
死去 |
1756年12月11日(55歳没) 神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン、ニンフェンブルク宮殿 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン、テアティナー教会 |
結婚 | 1722年10月5日 ウィーン |
配偶者 | 神聖ローマ皇帝カール7世 |
子女 |
マクシミリアーネ マリア・アントーニア テレーゼ・ベネディクタ マクシミリアン3世ヨーゼフ ヨーゼフ・ルートヴィヒ・レオ マリア・アンナ マリア・ヨーゼファ |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世 |
母親 | アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク |
生涯
編集父ヨーゼフ1世死後の1722年、バイエルン公子だったカール・アルブレヒトと結婚した。2人は7子をもうけた。
- マクシミリアーネ(1723年)
- マリア・アントーニア(1724年 - 1780年) - ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアン妃。
- テレーゼ・ベネディクタ(1725年 - 1734年)
- マクシミリアン3世ヨーゼフ(1727年 - 1777年) - バイエルン選帝侯。
- ヨーゼフ・ルートヴィヒ・レオ(1728年 - 1733年)
- マリア・アンナ(1734年 - 1776年)
- マリア・ヨーゼファ(1739年 - 1767年) - 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世妃。
結婚に際し、マリア・アマーリエは自身のハプスブルク家継承権を放棄していた[1]。しかし、マリア・アマーリエは皇帝の娘という立場では、叔父カール6世の娘である従妹マリア・テレジアと同じであった。そのため、マリア・テレジアがハプスブルク家の家督を相続することになると、夫カール・アルブレヒト選帝侯は妻の権利を主張してオーストリア・バイエルン戦争を起こし、1741年にチロルとボヘミアを占領、同年にボヘミア王、翌1742年には神聖ローマ皇帝に即位した[2]。
脚注
編集参考文献
編集- エーリヒ・ツェルナー 『オーストリア史』 彩流社、2000年