ベルナール・ブリエ
ベルナール・ブリエ(Bernard Blier、1916年1月11日 - 1989年3月29日)はアルゼンチン・ブエノスアイレス出身のフランスの俳優。ずんぐりとした体型と禿頭がトレードマークの性格俳優で、悪役や美食家、ブルジョアなどを演じ、シリアスからコメディまでこなした[1]。イタリア映画にも数多く出演している。映画監督で脚本家のベルトラン・ブリエは息子。
ベルナール・ブリエ Bernard Blier | |||||||||||
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『Amici miei』(1975年) | |||||||||||
生年月日 | 1916年1月11日 | ||||||||||
没年月日 | 1989年3月29日(73歳没) | ||||||||||
出生地 | アルゼンチン・ブエノスアイレス | ||||||||||
死没地 | フランス・サン=クルー | ||||||||||
国籍 | フランス | ||||||||||
職業 | 俳優 | ||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||
活動期間 | 1937年 - 1989年 | ||||||||||
配偶者 |
ジゼル・ブルネ(1937年 - 1965年)※離婚 アネット・マルタン(1965年 - 1989年)※死別 | ||||||||||
著名な家族 | ベルトラン・ブリエ(息子) | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『女たちのテーブル』(1986年) | |||||||||||
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略歴
編集フランス人の両親の下、アルゼンチンで生まれ、パリのコンセルヴァトワールで演技を学ぶ[2]。短期間の舞台経験の後、1937年に公開された『Trois, six, neuf』で映画デビューする。
第二次世界大戦に従軍した後、若ハゲの容姿を活かし、様々な主役級の役で有名になる[2]。
1986年のイタリア映画『女たちのテーブル』で、イタリア映画界最高の映画賞であるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀助演男優賞を受賞。
1989年3月2日に第14回セザール賞において名誉賞を受賞[1]し、その27日後に癌で死去。
1998年にブリエの肖像が切手に使われることが発表された[1]。
私生活
編集生涯で2度結婚しているが、子供は最初の妻ジゼル・ブルネとの間に生まれた息子ベルトラン・ブリエのみ。
主な出演作品
編集- 北ホテル Hôtel du Nord (1938)
- 犯罪河岸 Quai des Orfèvres (1947)
- 二百萬人還る Retour à la vie (1949)
- 女が事件にからむ時 Quand la femme s'en mêle (1957)
- レ・ミゼラブル Les Misérables (1958)
- 女猫 La Chatte (1958)
- 勝負師 Le Joueur (1958)
- ベラミ2000 Bel Ami 2000 oder Wie verführt man einen Playboy? (1966)
- パリ大混戦 Le Grand Restaurant (1966)
- 異邦人 Lo Straniero (1967)
- 狼どもの報酬 Laisse aller... c'est une valse (1971)
- ジョー Jo (1971)
- 追悼のメロディ Le Corps de Mon Ennemi (1976)
- セリ・ノワール Série noire (1979)
- 戦争の狂人 Scemo di guerra (1985)
- 女たちのテーブル Speriamo che sia femmina (1986)
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参考文献
編集- ^ a b c “Bernard Blier - Biography” (英語). IMDb. 2013年4月4日閲覧。
- ^ a b “Bernard Blier movies, photos, movie reviews, filmography, and biography” (英語). AllMovie. 2013年4月4日閲覧。