ブライアン・スウィーニー

ブライアン・エドワード・スウィーニーBrian Edward Sweeney, 1974年6月13日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ウエストチェスター郡ヨンカーズ出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。右投右打。現在はカンザスシティ・ロイヤルズの投手コーチを務める。

ブライアン・スウィーニー
Brian Sweeney
カンザスシティ・ロイヤルズ 投手コーチ #85
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ウエストチェスター郡ヨンカーズ
生年月日 (1974-06-13) 1974年6月13日(50歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2003年8月16日
NPB / 2007年3月29日
最終出場 NPB / 2009年10月5日
MLB / 2010年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム イタリア
WBC 2013年

経歴

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マーシー大学、独立リーグを経て[1]1996年9月にシアトル・マリナーズと契約してプロ入り。2003年メジャー初昇格。マリナーズ時代には佐々木主浩とともにプレーし、日本で投げたいと佐々木に言っていたことから、佐々木は日本で所属していた横浜ベイスターズに推薦したことがあるが断られたという。

2004年サンディエゴ・パドレスと契約し、同年6月にメジャー昇格してメジャー初勝利。12月21日にFAとなった。2005年1月10日にタンパベイ・デビルレイズとマイナー契約を結んだ。5月24日に放出され、5月26日に古巣・パドレスとマイナー契約を結んだ。

2006年は中継ぎとして37試合に登板して2勝2セーブ、防御率3.20。パドレス在籍時に対戦したイチローは3打数無安打、城島健司は1打数1安打1四球だった。10月16日にFAとなった。

2007年北海道日本ハムファイターズに入団。前半は1勝5敗ながら後半持ち直し、主に先発として21試合に登板して6勝(8敗)を挙げた。

2008年8月18日の対福岡ソフトバンクホークス戦で来日初完封。及び球団の歴代外国人投手では2004年のカルロス・ミラバル以来4人目の二桁勝利を達成。四死球は75と多めながらダルビッシュ有に次ぐチーム2位の12勝(5敗)を挙げる大活躍を見せた。

2009年は5勝8敗、防御率5.32と精彩を欠いた。チームはリーグ優勝を果たすものの、クライマックスシリーズおよび日本シリーズに登板することはなく、同年で退団。

2010年4月15日に古巣・マリナーズとマイナー契約を結び、6月15日に4年ぶりのメジャー復帰を果たした。11月3日にはウェイバー公示を経てアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍したが、翌2011年3月11日に自由契約となり、4月18日に独立リーグアトランティックリーグサマセット・ペイトリオッツと契約した[2]。5月5日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。11月2日にFAとなった。

2012年1月27日に古巣・マリナーズとマイナー契約を結んだ。11月3日にFAとなった。

2013年1月15日にマリナーズとマイナー契約で再契約した。また、第3回WBCイタリア代表に選出された。11月5日にマリナーズのマイナーをFAとなった。

引退後

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2017年12月12日にクリーブランド・インディアンスのコーチに就任することになった[3]

2020年シーズンからはブルペンコーチを務めた[4]2022年シーズンをもって退任した。

2023年シーズンよりカンザスシティ・ロイヤルズの投手コーチを務める[5]

選手としての特徴・人物

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最速145km/hのストレート、変化球は投球の約40%を占める武器のチェンジアップに加えてスライダーカーブカッタームービング・ファストボールフォークボールなど。低めにストレートや変化球を集めることで、打者にゴロや平凡なフライを打たせる技巧派投手である。ただ、吉井理人コーチはブログ上で、スウィーニーはフライアウトピッチャーであると述べていて、2009年は低めに球を集めてゴロを打たせる投球に変えて失敗したとしている。

日本ハム投手陣一の回復力を持ち、2007年は中3日での先発も2度あった。2008年4月29日の試合前練習中に、先発が予定されていた武田勝が左手親指を骨折した際には、自ら先発を名乗り出て好投した。

チームへの愛着は人一倍強く、度々「これからもファイターズだけでプレーしたい」「自分は道産子だと信じているし、北海道しか帰ってくる場所はないと思っている」などの発言をしている。

エビやカニなどの海産物が大好物で、西洋人には珍しく生のイカや魚も苦にしないほどであり、しばしば札幌市内などの生鮮市場に出没する。その他の日本食も大好きだが、納豆だけがどうしても食べられないことを悩みにしているという(ファイターズマガジン2008年11月号より)。

日本通で部屋にいろいろな日本語を書いた紙を張って、日本語を覚えようとしていた。日常会話程度なら日本語で話せる。

日ハム時代の愛称は“スーさん”だった。

父はニューヨーク州で消防士として35年間勤務していた。自身も野球のオフシーズンには非常勤の消防士として活動している[6]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2003 SEA 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 35 9.1 7 0 1 0 1 7 0 0 2 2 1.93 0.86
2004 SD 7 2 0 0 0 1 0 0 0 1.000 63 14.1 20 1 2 0 0 10 1 0 9 9 5.65 1.53
2006 37 0 0 0 0 2 0 2 0 1.000 237 56.1 53 6 16 5 1 23 2 0 22 20 3.20 1.22
2007 日本ハム 21 17 0 0 0 6 8 0 0 .429 467 109.1 109 11 36 1 2 56 6 0 47 45 3.70 1.33
2008 28 25 1 1 0 12 5 0 0 .706 685 163.0 139 22 72 0 3 90 4 0 65 63 3.48 1.29
2009 21 21 1 0 0 5 8 0 0 .385 535 118.1 144 10 52 0 2 58 4 1 73 70 5.32 1.66
2010 SEA 24 0 0 0 0 1 2 0 1 .333 148 37.0 33 5 6 1 0 14 2 0 16 13 3.16 1.05
MLB:4年 73 2 0 0 0 4 2 2 1 .667 483 117.0 113 12 25 6 2 54 5 0 49 44 3.38 1.18
NPB:3年 70 63 2 1 0 23 21 0 0 .523 1687 390.2 392 43 160 1 7 204 14 1 185 178 4.10 1.41
  • 2010年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

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  • 59(2006年)
  • 37(2004年、2010年)
  • 49(2006年)
  • 42(2007年 - 2009年)
  • 85(2018年 - )

登場曲

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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