フレデリック・キースラー
フレデリック・ジョン・キースラー(英語: Frederick John Kiesler, 1890年9月22日 - 1965年12月27日)は、オーストリア・ハンガリー帝国のチェルノヴィッツ(現在のウクライナ・チェルニウツィー)生まれの建築家、画家、彫刻家。劇場建築などを主に手がけ、世界で初めて建築的な映画の専門の場を作った人物[1]であり、ニューヨークで没した。「無限の彫刻」(Endless Sculptures)という言葉を生み出した[注釈 1]。
フレデリック・キースラー | |
---|---|
Friedrich Kiesler | |
フレデリック・キースラーの肖像(1924年) | |
生誕 |
Frederick Jacob Kiesler 1890年9月22日 オーストリア・ハンガリー帝国のチェルノヴィッツ(現・ウクライナのチェルニウツィー) |
死没 |
1965年12月27日 (75歳没) ニューヨーク市 |
国籍 | |
代表作 | 本の神殿 |
配偶者 |
|
受賞 |
|
選出 |
|
民族 | ユダヤ |
影響を受けた 芸術家 | アドルフ・ロース |
人物
編集オーストリア・ハンガリー帝国のチェルノヴィッツ(現・ウクライナのチェルニウツィー)生まれのキースラーは、フリードリヒ・ヤコブと名付けられた。1908年から1909年までウィーン工科大学で学び、その後1910年から1912年に同じ都市の絵画芸術アカデミーで絵画と版画を学んで1913年7月、卒業証書を取得せずに自主退学した。工科大学の建築専門課程は修了していない。
1920年から短い間であるがアドルフ・ロースの下で働いている[要出典]。1920年代にベルリンとウィーンで舞台芸術や展示会場のデザインで活躍した。1923年からデ・ステイルの会員にも名を連ねる。キースラーは活動の初期から当時のヨーロッパ前衛芸術家と広く交際があり、シュルレアリストやマルセル・デュシャンと共同作業を行っていた。建築家でもあったが、建築を建てない建築家「アンビルドアーキテクト」として有名であり、魔法の建築家「マジックアーキテクト」とも呼ばれた[要出典]。
主にアメリカで作品を発表をしたが、建築家フィリップ・ジョンソンをして、「キースラーほど建築を建てないで有名な建築家はいない」[要出典]と言わしめた。
元コロンビア大学大学院教授であり、ニューヨークにある同学の研究機関コルリエーション研究所の代表も務めた。
エンドレスハウスを代表作として、現代建築思潮の先駆けとなる理念を50年前から提唱していたという点は、特筆に値する。その著作の主題は広範で、理論研究は2本のいわば長い宣言文とも言える論考にまとめた。1本目は記事「近代建築における疑似機能主義」(『en:Partisan Review』、1949年7月[6]) 、2本目はそれを発展させた書籍『店舗とその商品陳列に応用された現代美術』[7]である。
1920年にシュテファニー(シュテフィ)・フリッシャー(1897年–1963年)と結婚すると、夫妻は1926年にニューヨーク市に拠点を移し、やがて帰化すると亡くなるまで暮らした。妻のシュテフィ・キースラーは必ず再婚するように言い遺して1963年9月に亡くなる。翌1964年、長年、キースラーの秘書を務め、支持者でもあったリリアン・オリンジーをキースラーは後妻に迎えた。1965年5月には本の神殿がエルサレムで落成し、式典に臨むためキースラーはエルサレムに赴く。その7か月後にニューヨーク市で没した。
キースラーは1952年にニューヨーク近代美術館により「20世紀半ばを代表する15人の芸術家」のひとりに選ばれ、またシカゴのグラハム財団フェローに招かれた(1957年)にもかかわらず、同時代の建築家からしばしば敬遠された。イスラエルの同時代の建築家たちはen:ユダヤ人ではあってもイスラエル国籍はないキースラーとバルトスを、作品『本の神殿』(1957–1965年)の建築家とは長く認めなかった。キースラーに対する反発は募り、ニューヨーク州から建築士免許を1930年に交付されていたが建築学の勉強を修めていないこと、建築物を建てた経験がない点を突かれて、コロンビア大学の同僚には「キースラーは木材2枚を固定する場合、釘やネジなど知らないとでもいうふりをする。さまざまな金属合金の引張強度を試験したり、方法や形状を試したりして半年を費やし、2枚の木材を固定する点でネジとほぼ同じ機能だが非常に高価な装置を考えつくのだ」と冗談を言った[8]。
デザインと建築のキャリア
編集フレデリック・キースラー建築芸術賞
編集オーストリアのウィーンにあるフレデリック&リリアン・キースラー財団はオーストリア共和国とウィーン市および数名の個人後援者がフレデリック・キースラーの資産を取得して1997年に設立され、キースラーの遺産調査と、それを現在の建築および芸術作品に反映させることを趣旨とする[9]。
キースラー未亡人のリリアンの強い希望により、フレデリック・キースラー建築芸術賞はオーストリアの賞として1997年に設立の運びとなった。同賞は副賞5万5000ユーロを設け、授与者はオーストリアとウィーン市が2年ごとに交互に担当する。国際的な専門家審査員団は理論家と芸術家、建築家で構成し、「建築と芸術において分野の伝統的な境界を越えており、フレデリック・キースラーの実験的で革新的な姿勢と『相関芸術』の理論に関連のある並外れた業績」を受賞対象と定めた[10][11]。歴代の受賞者を以下に示す。
授賞年 | 授賞者 |
---|---|
1998 | フランク・ゲーリー |
2000 | ジュディス・バリー(ウィキデータ) |
2002 | セドリック・プライス |
2004 | アシンプトート(ウィキデータ)、ハニ・ラシド(ウィキデータ) + Lise Anne Couture(ウィキデータ) |
2006 | オラファー・エリアソン |
2008 | 伊東豊雄[12] |
2010 | Heimo Zobernig(ウィキデータ) |
2012 | Andrea Zittel[13] |
2014 | ブルース・ナウマン[14] |
2016 | Andrés Jaque(ウィキデータ) |
2018 | ヨナ・フリードマン[15] |
2021 | シアスター・ゲイツ(ウィキデータ)[16] |
2024 | 石上純也[17] |
展覧会
編集時期 | 題名 | 展示施設 | 都市名 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1954年9月27日 – 10月19日 |
"Galaxies by Kiesler" | シドニー・ジャニス画廊(ウィキデータ) | ニューヨーク市 | |
1975年 | "Frederick Kiesler" | ウィーン応用美術大学 | ウィーン | |
1988年 – | "Friedrich [原文ママ] Kiesler—Visionär, 1890–1965"[18] | ウィーン・ルートヴィヒ財団近代美術館 | ウィーンと巡回展示[19] | |
1989年 | "Frederick Kiesler"[注釈 2] | ホイットニー美術館 | ニューヨーク市 | |
1995年 | "Frederick Kiesler: arte, architettura, ambiente"[21] | イタリア、ミラノ | ||
1996年7月3日 – 10月21日 |
"Frédérick Kiesler, artiste-architecte"[22][23] | ポンピドゥー・センター
|
パリ | |
2000年12月6日 – 2001年2月25日 |
"Frederick J. Kiesler: Endless Space" | シンドラー自邸(ウィキデータ) | ロサンゼルス | |
2008年 | "Frederick Kiesler: Co-Realities" | ドローイング・センター(ウィキデータ) | ニューヨーク市 | |
2012年10月25日 – 2013年2月25日 |
"Die Kulisse explodiert. Friedrich Kiesler und das Theater" | オーストリア演劇博物館(ウィキデータ) | ウィーン | |
2013年3月20日 – 6月23日 | Museum Villa Stuck | 巡回展 |
|
|
2016年 | "Frederick Kiesler: Life Visions" | オーストリア応用美術博物館 | ウィーン | |
2016年6月15日 – 9月25日 |
"Inside the Endless House. Re-Reading Friedrich/Frederick Kiesler" | オーストリア応用美術博物館 | ウィーン | |
2017年3月11日 – 6月11日 |
"Friedrich Kiesler: Architect, Artist, Visionary" | マーティン・グロピウス会館(英語版) | ベルリン | |
2024年2月25日 – 5月26日 |
"Frederick Kiesler: Us, You, Me" | Kunsthaus Zug, Zug | ||
2024年4月25日 – 7月28日 |
"Frederick Kiesler: Vision Machines" | ユダヤ博物館(英語版) | ニューヨーク |
日本の芸術家との関係
編集メディア・アーティストで知られる山口勝弘はキースラーに師事した[注釈 3]。
キースラーの死後に伊東豊雄(2009年[12])、石上純也(2024年[17])がフレデリック・キースラー建築芸術賞を受けた。
作品
編集1950 年代に「ギャラクシーズ」(惑星群)と呼んで制作した一連の作品(「Horse Galaxy」など)は、壁から突き出した複数のパネルで宇宙(space)を表現した。絵画と彫刻、ドローイングを組み合わせて、それらを1つにまとめたユニットという形態である。キースラーは、それぞれの構成要素同士の空間(space)に絵画自体と同等の価値を認めて、作品全体の「内なる必然性」を反映させ「現実の私たちの身体と呼吸」の関係と等しいと述べた。
多面的な絵画の着想を得たわずか数年前に広島と長崎への原爆投下があり、当時の政治や社会の混乱からキースラー自身が受けた感覚が投影された。
- Us, You, Me
キースラーは彫刻作品にも同様の哲学を取り入れて個々の作品に特定の配置を与えると、人間とデザインの関係をさらに明確に理論化しようと試みる。インスタレーション作品「Us, You, Me」は1963-1965年に完成、大小の作品をそれぞれブロンズやアルミニウム、木材、花崗岩、コンクリートなどで制作して構成した(仮題「私たち、あなたたち、私」)。展示はアイオワ大学美術館英語版(1995年)、パリッシュ美術館英語版(2003年[27])、またハンターカレッジが主催しタイムズスクエア・ギャラリー展(2004年[28])を実施した。舞台美術にたずさわったキースラーは彫刻を風景ととらえる発想を得て、現代生活の根底にある不安を象徴する主題をこの作品に反映した。
- ブケファロス
最晩年の彫刻「ブケファロス」はアレクサンダー大王の軍馬ブケパロスに触発され、鑑賞者が中に入って瞑想する洞窟として使われる設定であった。制作にあたりキースラー自身と助手のレン・ピトコウスキー(Len Pitkowsky)は素材にコンクリートとメッシュを構想し(1962年–1965年)、キースラー没後の2006年から2008年にかけて素材をアルミニウムに替え、ポリッチ・タリックス鋳造所で鋳造した(ニューヨーク州オレンジ郡ロック・タバーン)。
主な作品
編集- Horse Galaxy(1954年)
- Us, You, Me(1963-1965年)
- エンドレスハウス(MOMAニューヨーク近代美術館、ニューヨーク)[注釈 4]
- マジック・アーキテクチャー(建築理論)
- 本の神殿(エルサレム)(1957–1965年)
- ブケファロス(構想1962年–1965年、製作2006年–2008年)
主な著作
編集- Kiesler, Frederick『Internationale Ausstellung Neuer Theatertechnik : Im Rahmen Des Musik-Und- Theaterfestes Der Stadt Wien 1924』展示図録、プログラム、年譜(ウィーン:Kunsthandlung Würthle & Sohn.)仮訳:〔国際新演劇技術展。1924年開催、ウィーン市の音楽と演劇の祭典の一環として〕
- 復刊、FREDERICK JOHN KIESLER、現代美術振興協会(Gesellschaft zur Förderung Moderner Kunst)『Internationale Ausstellung Neuer Theatertechnik』Internationale Ausstellung Neuer Theatertechnik 編。1924年発行物の復刊(ウィーン:LÖCKER & WÖGENSTEIN、1975)
- Kiesler, Frederick; Rosenwald, Lessing J. (1930). Contemporary Art Applied to the Store and Its Display. Reference Collection. New York: Brentano. OCLC 1459158
- Kiesler, Frederick (1949). “Pseudo-Functionalism in Modern Architecture”. Partisan Review (New York): 733-742. OCLC 277232919.
- Kiesler, Frederick (1957-10). “The Art of Architecture for Art” (英語) (PDF). Art News 56 (6): 41–43 .
- Kiesler, Frederick (2017). Monteiro, Stephen. ed. Building a cinema theatre. Bloomsbury Academic. 229–233. doi:10.5040/9781501311680.ch-021. OCLC 936219541. 国立国会図書館書誌ID:028010356 ISBN 9781501311697, 1501311697, 9781501311703, 1501311700。
脚注
編集注釈
編集- ^ Grunewald[2]による引用元[5]。
- ^ 展示図録あり[20]。目次:
- Lisa Phillips(ウィキデータ) "Architecture of endless innovation".
- Barbara Lesak(ウィキデータ) "Visionary of the European theater".
- Dieter Bogner(ウィキデータ) "Kiesler and the European avant-garde".
- Cynthia Goodman "The art of revolutionary display techniques".
- Jeanne T. Newlin "Part of the cosmos: Kiesler's theatrical art in America".
- Lisa Phillips "Environmental artist".
- "Chronology 1890-1965
- ^ 山口勝弘は自著『環境芸術家キースラー』[24]について語り[25]、書評を受けた[26]。
- ^ 関連資料を参照。
出典
編集- ^ Kiesler 2017, pp. 229–233
- ^ Grunewald 2014, p. 66
- ^ Kiesler 1964, p. 86
- ^ Kiesler 1966, pp. 18–31, 「1956年」(1960年追記)
- ^ [3][4]。
- ^ Kiesler 1949, pp. 733–742, Pseudo-Functionalism in Modern Architecture
- ^ Kiesler & Rosenwald 1930, Contemporary Art Applied to the Store and Its Display
- ^ 『Architectural Forum』 1947
- ^ “Frederick Kiesler Foundation” (英語). Kiesler. 2024年4月11日閲覧。
- ^ “4th Austrian Frederick Kiesler Prize for Architecture and the Arts award-winners - Announcements - e-flux” (英語). www.e-flux.com. 2024年4月11日閲覧。
- ^ “Frederick Kiesler Prize” (英語). Kiesler. 2024年4月11日閲覧。
- ^ a b 竹下順子. “伊東豊雄氏がフレデリック・キースラー建築芸術賞を受賞”. 日経クロステック. 日経BP. 2024年8月26日閲覧。
- ^ “Frederick Kiesler Prize for Architecture and the Arts Winner: Andrea Zittel” (英語). ArchDaily (2012年11月27日). 2024年4月11日閲覧。
- ^ Probst, Judith (2014年4月30日). “Bruce Nauman Receives Friedrich Kiesler Prize” (英語). Artnet News. 2024年4月11日閲覧。
- ^ Marani, Matthew (2018年2月27日). “Yona Friedman announced as Austrian Frederick Kiesler Prize winner” (英語). The Architect's Newspaper. 2024年4月11日閲覧。
- ^ “Austrian Kiesler Prize Goes to U.S. Artist Theaster Gates” (英語). Austria (2021年9月10日). 2024年4月11日閲覧。
- ^ a b “日本人建築家がフリードリッヒ・キースラー建築芸術賞を受賞(2024年6月17日)”. 在オーストリア(ウィーン)日本国大使館 (2024年6月18日). 2024年8月25日閲覧。 “6月17日、当地オットー・ワーグナー郵便貯金局にてフリードリッヒ・キースラー建築芸術賞2024の授与式”
- ^ Kiesler, Frederick; Bogner, Dieter; Museum des 20 Jahrhunderts (Austria). (1988). Friedrich Kiesler : Architekt, Maler, Bildhauer, 1890-1965.. Wien: Löcker
- ^ Kiesler, Frederick; Galerie Michael Werner(ドイツ、ケルン) (1988) (ドイツ語). Friedrich Kiesler Skulpturen Und Zeichnungen.. ケルン: Michael Werner. OCLC 921283600
- ^ Phillips, Lisa; rDieter, Bogne (1989). Whitney Museum of American Art; Michael Glass Design Inc.. eds (英語). Frederick Kiesler. New York: Whitney Museum of American Art ; W.W. Norton, in association with.. OCLC 1416622090 オンライン版「HathiTrust Digital Library」、検索のみ可能。全168頁。
- ^ Bottero, Maria; Frederick Kiesler (1995) (イタリア語). Frederick Kiesler : Arte Architettura Ambiente.. Milano: Ente autonomo La Triennale di Milano (ミラノ自治団体トリエンナーレ); Electa.
- ^ Kiesler, Frederick; Béret, Chantal; Centre Georges Pompidou (1996) (フランス語). Frederick Kiesler, Artiste-Architecte. Collection Monographie. Paris: Centre Georges Pompidou.. OCLC 605126713 オンライン版「HathiTrust Digital Library」、検索のみ可能。全271頁、挿絵あり。
- ^ Reichlin, Bruno (1996.). “The City in Space”. Frederick Kiesler : Artiste-Architecte. OCLC 716669086
- ^ 山口勝弘『環境芸術家キースラー』(美術出版社、1978年)、注記:キースラーの肖像あり
- ^ 山口 1978, p. 43
- ^ 多木 1978, pp. 32–33
- ^ “FREDERICK KIESLER: THE LATE WORK US, YOU, ME AUGUST 10 – OCTOBER 12 2003”. Parrish Art Museum. 2004年4月9日閲覧。
- ^ Cotter, Holland (April 9, 2004). “Art in Review: 'Moved'”. The New York Times
参考文献
編集本文に使った典拠。主な執筆者、編者、媒体名の順。
- 多木浩二「ART FOCUS―今月の焦点:書評・山口勝弘『環境芸術家キースラー』」『美術手帖』第30巻第433号、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、1978年5月、32-33頁、doi:10.11501/7923988、国立国会図書館書誌ID。
- 「わが著書を語る:山口勝弘『環境芸術家キースラー』」『出版ニュース : 出版総合誌』第1105号、出版ニュース社、1978年3月、43頁、doi:10.11501/3435434、国立国会図書館書誌ID。。
- 洋書
- “Design's Bad Boy”. 'Architectural Forum 86 (2): 140. (February 1947-02).
- Grunewald, Almut (2014) (ドイツ語). Friedrich Kiesler. Seine Skulpturen und sein offenes künstlerisches Konzept . 本論文(仮題:フレデリック・キースラー、その彫刻とオープンな芸術論)はほとんど知られていないキースラーの彫刻作品に着目した。「終わりのない」未完成さを求めたキースラーをプロセスアート運動の先駆者と把握し、その全作品に関連するオープンな芸術的概念を表すものが彫刻作品である。
- Ben van Berkel; Olafur Eliasson; Kurt W. Forster; Antje von Graevenitz; Hani Rashid (2009). Pessler, Monika; Österreichische Friedrich und Lillian Kiesler Privatstiftung; フリードリヒ&リリアン・キースラー財団. eds (ドイツ語) (PDF). Modelling Space : 10th Anniversary Kiesler Foundation Vienna. Wien: Schlebrügge. OCLC 699255092ISBN 9783851601459, 3851601459。
関連資料
編集- エンドレスハウス
- Kiesler, Frederick (1966). Inside the endless house : art, people and architecture : a journal. Simon and Schuster. NCID BA21607938
- Held, R. L. (1982). Endless innovations : Frederick Kiesler's theory and scenic design. Studies in the fine arts : Avant-Garde. UMI Research Press. ISBN 0835712990. NCID BA00994100 博士論文を増補(ボーリング・グリーン州立大学、1977年)。略歴は [239]-251頁。
- Kiesler, Frederick (1997). Frederick Kiesler 1890-1965 : en el interior del endless house : inside the endless house. IVAM Centre Julio González, Generalitat Valenciana, Conselleria de Cultura, Educació i Ciència. ISBN 8448214463. NCID BB0977452X
- Kiesler, Frederick; Bogner, Dieter; Noever, Peter (2001). Frederick J. Kiesler : endless space. Hatje Cantz,MAK. ISBN 3775710477. NCID BA54762368
- Kiesler, Frederick; Bogner, Dieter; Noever, Peter (2001). Frederick J. Kiesler : endless space. Hatje Cantz,MAK. ISBN 3775710477. NCID BA64731305
- Kiesler, Frederick and Friedrich Kiesler-Zentrum and Museum für Moderne Kunst (Frankfurt am Main, Germany) (2003). Friedrich Kiesler : Endless House. Hatje Cantz. ISBN 3775713360. NCID BA64949423
- Nielsen, Camilla R.; Schmidt Sabine; Fleissner, Sarah (2015). Bollinger, Klaus; Medicus, Florian; Austrian Frederick et al.. eds. Endless Kiesler Birkhäuser. Edition Angewandte. ISBN 9783035606249. NCID BB20389216
- Phillips, Stephen John (2017). Elastic architecture : Frederick Kiesler and design research in the first age of robotic culture. The MIT Press. ISBN 9780262035736. NCID BB23521761
外部リンク
編集- フレデリック・キースラーに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- オーストラリア、フレデリック&リリアン・キースラー財団公式サイト - Austrian Frederick and Lillian Kiesler Private Foundation
- イスラエル美術館の収蔵作品 at the Wayback Machine (archived 2017-02-14) - Shrine of the Book in Israel Museum
- Two Projects by Frederick Kiesler - ハインツ・エミホルツ(英語版)による映像作品(2006年–2009年オーストリアとドイツ)