パスクアーレ・フォッジャ
パスクアーレ・フォッジャ(Pasquale Foggia, 1983年6月3日 - )は、イタリア・ナポリ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはWG。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
ラツィオ時代(2009年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Pasquale FOGGIA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1983年6月3日(41歳) | |||||
出身地 | ナポリ | |||||
身長 | 167cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (WG, OMF) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
バンコ・ディ・ナポリ | ||||||
1997-1999 | パドヴァ | |||||
1999-2000 | ミラン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2003 | トレヴィーゾ | 69 | (13) | |||
2003-2005 | エンポリ | 28 | (1) | |||
2005 | → クロトーネ (loan) | 15 | (1) | |||
2005-2006 | ミラン | 0 | (0) | |||
2005-2006 | → アスコリ (loan) | 34 | (4) | |||
2006-2013 | ラツィオ | 69 | (4) | |||
2007 | → レッジーナ (loan) | 15 | (4) | |||
2007-2008 | → カリアリ (loan) | 33 | (5) | |||
2011-2012 | → サンプドリア (loan) | 31 | (4) | |||
2013 | ドバイCSC | 0 | (0) | |||
2013-2014 | サレルニターナ | 22 | (1) | |||
2000-2014 | 通算 | 316 | (37) | |||
代表歴2 | ||||||
1999 | イタリア U-15 | 3 | (1) | |||
2000 | イタリア U-16 | 4 | (0) | |||
2001 | イタリア U-17 | 1 | (0) | |||
2001-2003 | イタリア U-20 | 7 | (0) | |||
2006 | イタリア U-21 | 4 | (0) | |||
2007-2009 | イタリア | 3 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年2月2日現在。 2. 2018年2月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集キャリア初期
編集2000-01シーズンにセリエC1・トレヴィーゾFCでキャリアをスタートさせた。ACミランとの共同保有であり、短い期間ではあったがミランのユースでの練習の経験もある。トレヴィーゾでは計69試合に出場し13得点、2002-03シーズンはセリエBでのプレーを経験した。2003-04シーズンには引き続きACミランとの共同保有でエンポリFCに移籍し、セリエAデビューを果たし1シーズン半で28試合に出場し1得点。2005年はセリエBのFCクロトーネにレンタル移籍し15試合出場1得点だった。
2005-06シーズンはセリエA・アスコリ・カルチョにレンタル移籍し33試合に出場した。主に4-4-2システムの右サイドで30試合に先発出場、左利きの選手独特の内に切れ込むドリブルで好機を演出とすると共に自身も4得点を上げクラブのセリエA残留に貢献、同じ小柄な左利きの右ウイングで1982 FIFAワールドカップの優勝メンバーであるブルーノ・コンティの再来との評価も得た。
ラツィオ
編集2006-07シーズンはACミランへの復帰も検討されたが、4-3-1-2システムではポジションが限られる為、前シーズンの活躍を買われてSSラツィオに完全移籍。しかしながらラツィオでもシーズン途中にシステムが4-4-2から4-3-1-2に変更されポジションを失ったことから(3試合に先発、8試合に途中出場、1ゴールだった)、冬にレッジーナ・カルチョにレンタル移籍をする。レッジーナではかつては中村俊輔も背負った背番号10を与えられ3-4-2-1システムの右セカンドトップとして15試合に出場(内先発は11試合)し4得点。ロランド・ビアンキ、ニコラ・アモルーゾと共に3トップを組み、カルチョ・スキャンダルの影響で勝点-11からのスタートという処分を受けたクラブのセリエA残留に貢献した。
2007-08シーズンはレンタル移籍でカリアリ・カルチョに移籍。2年前にアスコリで残留を実現させたマルコ・ジャンパオロ監督の下、同じく当時左のサイドハーフとして活躍したミケーレ・フィーニとのコンビを組んだ。また、4-3-3、4-2-3-1のウイングに高い適性を持つことから同システムで試合に臨むことの多いイタリア代表のロベルト・ドナドーニ監督からも注目をされており、2007年10月には初のA代表への招集を受けた。2008-09シーズンからラツィオに復帰することが決定した。
現役引退後
編集2014年9月2日、USサレルニターナ1919との契約を双方合意に基づき解除した[1]。
2017年1月10日、セリエDに所属するSSラシン・クラブ・ローマのスポーティングディレクターに就任した[2]。
2017-18シーズンより、クラブ史上初のセリエA昇格を果たしたベネヴェント・カルチョのユース部門において責任者を務める[3]。
代表歴
編集代表では2007年、ジョージア戦で初出場。2009年のコンフェデレーションズカップのメンバーに選出されると、同年の北アイルランドとの親善試合で代表初ゴールを決めた。
タイトル
編集- トレヴィーゾ
- セリエC : 2002-03
- スーペルコッパ・ディ・レガ・セリエC1 : 2003
- ラツィオ
- コッパ・イタリア : 2008-09, 2012-13
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2009
- サレルニターナ
- コッパ・イタリア・セリエC : 2013-14
脚注
編集- ^ “UFFICIALE: Salernitana, risolto consensualmente il contratto di Foggia”. TUTTOmercatoWEB.com (2014年9月2日). 2018年2月2日閲覧。
- ^ “Racing Roma, il nuovo ds è l'ex Lazio Pasquale Foggia”. Corriere dello Sport (2017年1月10日). 2018年2月2日閲覧。
- ^ “ESCLUSIVA TMW - Benevento, Foggia è il nuovo responsabile del settore giovanile”. TUTTOmercatoWEB.com (2017年6月29日). 2018年2月2日閲覧。
外部リンク
編集- Pasquale Foggia - player profile Transfermarkt
- Pasquale Foggia - manager profile Transfermarkt