バラバラ (オーストラリア)

バラバラステーション英語版 (Balla Balla Station) は、西オーストラリア州ピルバラ地方のカラサ英語版の北方138キロメートル (86 mi)、北西海岸ハイウェイ英語版に近い位置にある、 パストラル・リース英語版、牧畜ステーション。

Balla Ballaの位置(西オーストラリア州内)
Balla Balla
Balla Balla
西オーストラリア週内の位置。

このステーションは、観光目的にも用いられており、キャンプが許可されているほか、釣りの好適地としてもよく知られている[1]

当地には、かつて海岸寄りの場所に、地域の重要な港町としてバラバラの町 (the town of Balla Balla) が存在していた。しかし、治水は不安定で、1898年には最初の洪水が記録された[2]

ウィムクリーク英語版金鉱やエルギンクリーク (Elgin Creek) の銅鉱の発展を受け、町は1897年に、近傍の30,000エーカー (12,141 ha)を公共用地として要求した。その中には、家畜の水場となる淡水湖であるバラバラ・プール (Balla Balla Pool) が含まれていた。一時期は、20隊の労働者たちが雇われ、70頭以上のラクダを用いて、鉱山から物資を運び出していたという[3]

1896年サイクロンが町を襲い、建物の大部分を破壊した。郵便局鍛冶屋、シカゴ・ホテル (Chicago Hotel)、羊毛小屋英語版は、いずれも全壊した。バラバラ・ホテル (the Balla Balla Hotel) は一部の屋根が飛び、何隻もの船が沈んだ。飛散物によって2人の命が失われた[4]

1902年に町を襲った嵐は大量の雨を降らせ、海面も町の高さとほぼ同じになるくらいの高潮となった[5]。隣接するシャーロック・ステーション英語版では、およそ 203ミリメートル (8 in) の浸水となった。港湾地区は深刻な被害を受け、砂丘は消失し、後に残されたのはむき出しになった鉄路だけであった。

1907年には、港湾地区一帯の海上からの測量調査が、汽船「ペンギン (Penguin)」のエアリー船長 (Captain Airey) によっておこなわれた。この調査に合わせて、本土側のベラベラからデパッチ島英語版までコーズウェイ(土手道)建設の費用の見積もりもおこなわれた[6]

1912年のサイクロンは、港に大混乱をもたらし、多数の船が沈み、何人もの溺死者が出た。「クラウン・オブ・イングランド (Crown of England)」、「エンタープライズ (Enterprise)」、「シヨ (Clyo)」などの船が沈んだ。バラバラ・クリークに避難していた真珠採りの船団は無傷であった[7]。近くの海を航行していた「クーンバーナ (SS Koombana)」も、行方不明になった[8]

この地域は鉱物資源、特にが豊かで、周辺ではいくつかの鉱山が操業している。ブリーン某 (a Mr Breen) が1926年以前に設定したリースは、試掘者英語版によって「北西部で見てきた中では最良のもの (the best he had seen in the Nor' West)」であったと評された[9]アデレードに拠点を置く投資家集団バラバラ・シンジケート (the Balla Balla Syndicate) は、鉱山開発のため、10セットのバッテリーを備えた搗鉱機を建造するための資材とともにブリーンを1926年に当地へ再び派遣した[10]

脚注

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  1. ^ Karratha Visitor Centre – Balla Balla” (2005年). 16 May 2012閲覧。
  2. ^ “Drowning at Balla Balla”. The West Australian (Perth: National Library of Australia): p. 5. (15 January 1898). http://nla.gov.au/nla.news-article3192662 20 May 2012閲覧。 
  3. ^ “Wants of Balla Balla”. The West Australian (Perth: National Library of Australia): p. 2. (25 September 1897). http://nla.gov.au/nla.news-article3184421 20 May 2012閲覧。 
  4. ^ “The Hurricane in the North-west.”. The West Australian (Perth: National Library of Australia): p. 4. (13 April 1898). http://nla.gov.au/nla.news-article3199668 1 May 2014閲覧。 
  5. ^ “Balla Balla almost submerged”. Western Mail (Perth: National Library of Australia): p. 21. (22 February 1902). http://nla.gov.au/nla.news-article37795624 20 May 2012閲覧。 
  6. ^ “Port of Balla Balla”. The Sydney Morning Herald (New South Wales: National Library of Australia): p. 8. (22 August 1907). http://nla.gov.au/nla.news-article14874887 20 May 2012閲覧。 
  7. ^ “News from Balla Balla”. The Daily News (Perth: National Library of Australia): p. 10. (23 March 1912). http://nla.gov.au/nla.news-article79896519 20 May 2012閲覧。 
  8. ^ “Balla Balla Cyclone S.S. Koombana overdue”. The Argus (Melbourne: National Library of Australia): p. 7. (26 March 1912). http://nla.gov.au/nla.news-article11663368 20 May 2012閲覧。 
  9. ^ “Balla Balla Syndicate”. Western Argus (Kalgoorlie, Western Australia: National Library of Australia): p. 5. (20 July 1926). http://nla.gov.au/nla.news-article34399712 20 May 2012閲覧。 
  10. ^ “Balla Balla Syndicate.”. Western Argus (Kalgoorlie, Western Australia: National Library of Australia): p. 6. (5 October 1926). http://nla.gov.au/nla.news-article34403151 20 May 2012閲覧。 

関連項目

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座標: 南緯20度47分52秒 東経117度48分15秒 / 南緯20.79778度 東経117.80417度 / -20.79778; 117.80417