ハーマンズ・ハーミッツ
ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)は、イギリスのバンド。1960年代にブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドとして活動した。
ハーマンズ・ハーミッツ Herman's Hermits | |
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1968年 (左からキース・ホプウッド、カール・グリーン, デレク・レッケンビー、ピーター・ヌーン、バリー・ホイットワム) | |
基本情報 | |
出身地 | イギリス マンチェスター |
ジャンル | ポップス[1]、ロック[2] |
活動期間 | 1964年 - |
レーベル |
EMI MGM |
メンバー |
バリー・ホイットワム Geoff Foot Kevan Lingard Paul Cornwell |
旧メンバー |
デレク・レッケンビー キース・ホプウッド カール・グリーン ピーター・ヌーン |
歴史
編集1964年8月に発表したデビュー曲「朝からゴキゲン」がイギリスで大ヒットし、翌1965年にはビートルズの成功に続くべく、ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドとして、アメリカに進出した。ヴォーカルのピーター・ヌーンのアイドル的ルックスと、清潔感のある親しみやすいイメージで高い人気を博し、「ハートがドキドキ」「ミセス・ブラウンのお嬢さん」「ヘンリー8世君」など多くの全米トップ10ヒット曲を連発した。1965年から1966年にかけてアメリカで大きな人気を獲得し、1966年にはMGMから主演映画『ホールド・オン!』が封切られ、2月に来日公演を果たす[3]。
1967年には「見つめあう恋」が大ヒットするも、以後の全米ツアーでは前座だったザ・フーやマッシュマッカーン(カナダ)に食われるなど、かつての勢いはなくなる。1968年には映画『レッツ・ゴー!ハーマンズ・ハーミッツ』が封切られるも回復策にはならず、「恋は晴れのち曇り」「スリーピー・ジョー」を最後に全米チャートから姿を消した[4]。
1968年に入ってからは本国イギリスで「サンシャイン・ガール」「恋はハプニング」「マイ・センチメンタル・フレンド」などのヒットを放ち続けたが、1971年のシングル「レディ・バーバラ」を最後にヌーンが脱退したことで、グループは事実上の解散を迎えた[5]。
ドラムだったバリー・ホイットワムはグループの名義のみを存続させ、「ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits starring Barry Whitwam)」として活動を継続している。また、ヌーンが独立後に結成したバンドも「ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits starring Peter Noone)」を名乗って活動している。
メンバー
編集太字はオリジナル・メンバー。
現在のメンバー
編集- バリー・ホイットワム(1946年7月21日 - ) – ドラム(1964年 – 現在)
- Geoff Foot – リード・ヴォーカル、ベース(1973年 – 現在)
- Kevan Lingard – キーボード、バッキング・ヴォーカル(2006年 – 現在)
- Paul Cornwell - リード・ギター、バッキング・ヴォーカル(2013年 – 現在)
過去のメンバー
編集ディスコグラフィ
編集- Herman's Hermits
- (「ミセス・ブラウンのお嬢さん」「ヘンリー8世君」「この世の果てまで」「フォー・ユア・ラヴ」収録)
- Both Sides Of Herman's Hermits
- (「リッスン・ピープル」「恋のランプ・ポスト」「バス・ストップ」収録)
- There's A Kind Of Hush (All Over The World)
- (「見つめあう恋」「イースト・ウエスト」「二人でいつまでも」「ノー・ミルク・トゥデイ」収録)
- Blaze
- (「恋のミュージアム」「雨にさようなら」収録)
- Mrs. Brown You've Got A Lovely Daughter (映画『レッツ・ゴー! ハーマンズ・ハーミッツ』サウンドトラック盤)
- (「イッツ・ナイス・トゥ・ビー・アウト・イン・ザ・モーニング」収録)