トミー・リピューマ
トミー・リピューマ(Tommy LiPuma、1936年7月5日 - 2017年3月13日[1])は、アメリカ合衆国の音楽プロデューサー、ヴァーヴ・ミュージック・グループ会長。オハイオ州クリーブランド出身[2]。1968年にボブ・クラズノーが設立したブルー・サム・レコード[3]に、リピューマとドン・グレアムも加わった。
トミー・リピューマ Tommy LiPuma | |
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出生名 | Thomas LiPuma |
生誕 | 1936年7月5日 |
出身地 | アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランド |
死没 | 2017年3月13日(80歳没) |
ジャンル |
ジャズ フュージョン ソウル / R&B ポップ・ミュージック |
職業 | 音楽プロデューサー |
活動期間 | 1960年代 - 2017年 |
レーベル |
リバティ/インペリアル (1961年–1965年) A&M (1965年–1969年) ブルー・サム (1968年–1974年) ワーナー (1974年–1978年) A&M/ホライズン (1978年–1979年) ワーナー (1979年–1990年) エレクトラ (1990年–1995年) GRP/ヴァーヴ (1994年–2011年) |
マイルス・デイヴィスやポール・マッカートニー、イエロージャケッツ、ジョージ・ベンソン、ダイアナ・クラール等、数多のアーティストをプロデュースしており、幾度もグラミー賞を勝ち取ったりノミネートしている。特に有名なアルバムにジョージ・ベンソンの『ブリージン』があげられる。
キャリア
編集リバティ/インペリアル、A&M時代
編集1回目にA&Mに所属した際には、ハーブ・アルパートはリピューマにサンドパイパーズを任せた。リピューマは、サンドパイパーズの「グァンタナメラ」をヒットさせた。
ブルー・サム時代
編集ブルー・サム・レコード時代は、フィル・アップチャーチ、ベン・シドランらを手掛けた。フィル・アップチャーチはリピューマについて、「彼は音楽業界でも最高の耳を持っており、それを何度も何度も証明した」と称えている。
タイム・ワーナー時代
編集ワーナー・レコード時代はジョージ・ベンソンのアルバム『ブリージン』を制作し、ヒットさせた。
A&M時代
編集A&Mレコードへ2回目に所属していた頃は、自己レーベル、ホライズン・レコードを創設し、ニール・ラーセン、シーウィンド等がこのレーベルからリリースされている。1978年にA&Mが日本のアルファレコードと提携した際に来日した時に、デビューして間もないイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を世界へ紹介することとなった。
ワーナー・エレクトラ時代
編集1990年、ワーナーのジャズ部門のシニア・ヴァイス・プレジデントに、リピューマが就任。ナタリー・コール、アニタ・ベイカーを手掛ける。
GRP時代
編集1994年にGRPレコードの創設者デイヴ・グルーシンとラリー・ローゼンが離れ、リピューマが替わって就任。GRPでホライズン・レコード、インパルス!レコードを復興させた。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 音楽プロデューサーのトミー・リピューマが死去、「アンフォーゲッタブル」など有名作品を多数プロデュース musicman-net 2017年3月15日付
- ^ Ed Hogan. “Tommy LiPuma: Biography”. All Music Guide. 2012年7月13日閲覧。
- ^ Blue Thumb Records