ケークウォーク(Cakewalk)とは、黒人コミュニティで発祥したダンスの一種である。このダンスは、2拍子の軽快なリズムを特徴としており、元々はアフリカ系アメリカ人の間で行われていた伝統的な踊りの一つである。

ケークウォークは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部で人気を博し、特に「ケーキウォーク」と呼ばれるコンテスト形式で行われることが多かった。このコンテストでは、最も優れたダンサーが表彰され、優勝者にはケーキが贈られたことから、その名が付けられたとされる。

ケークウォークの動きは、しばしばユーモラスで誇張されたものであり、さまざまなスタイルの服装を身に着けた参加者たちが競い合う姿が印象的である。特に、黒人の文化が白人のエンターテイメントに影響を与え、後に広く普及したことで、ケークウォークはアメリカの音楽とダンスの重要な要素となった。20世紀に入ると、ケークウォークはジャズやビッグバンドの音楽に取り入れられ、さらにはブロードウェイのミュージカルなどでも見られるようになった。

このように、ケークウォークは単なるダンス以上のものであり、アメリカの音楽文化の中で重要な役割を果たし続けている。

起源

編集

19世紀末にアメリカ合衆国南部[注釈 1]ミンストレル・ショーからでたもっとも有名なダンスステップの一つとなり[1]、20世紀にヨーロッパへもたらされ流行した。またアメリカ南部へ伝播されジャズの起源のひとつともなった。一説にはケーキを賭けて巧さを競い合って踊ったという。

クロード・ドビュッシーはこのダンスを題材にいくつかの曲を書いている。以下参照。中でも「ゴリウォーグのケークウォーク」は有名。

  • ゴリウォーグのケークウォーク (Children's Corner - 6. Golliwogg's Cake-Walk, 1908)(組曲「子供の領分」より)
  • 小さな黒人 (Le petit Negre, 1909)
  • ミンストレルズ (Préludes: Premier Livre - 12. Minstrels, 1910)(前奏曲集 第1巻より)
  • 風変わりなラヴィーヌ将軍 (Préludes: Deuxième Livre - 6. Général Lavine - Excentrique, 1913)(前奏曲集 第2巻より)

20世紀初頭のパリには、モンパルナス地区に格安の黒人ダンスホールが興り、最初はパリ在住の黒人同士で踊っていたが、後に白人の客、特に婦人方を交えて踊ることが流行った。これが当地界隈に集まった芸術家たちの間で話題になった。ギヨーム・アポリネール藤田嗣治らも見物に訪れたという。あまりに繁盛しすぎたため、黒人客の出入りを嫌った住民の苦情と地主の都合で早々に店じまいに追い込まれたというが、これが20世紀初頭のパリで黒人文化を流行らせた発端の一つであったことは間違いない。この黒人ダンスホールについてはモンパルナス博物館に写真や当時の素描のパネルが展示されている。これらは後期印象派や、前述のアポリネールを取り巻く藤田やピカソなどその後進世代の画家、あるいは前述のドビュッシーやプーランク(初期に「黒人狂詩曲」という作品がある)といった音楽家たちにカルチャーショックを与え、ひいてはダダイスム運動へと繋がっていく。

注釈

編集
  1. ^ 大邸宅に住む白人のもったいぶった礼儀作法の物真似から始まったと説明されることが多い[1]

脚注

編集
  1. ^ a b L・ジョーンズ『ブルース・ピープル』平凡社ライブラリー、2011年、148頁。 

外部リンク

編集