カーマ・スートラ・レコード

アメリカ合衆国のレコード会社

カーマ・スートラ・レコード(Kama Sutra Records)は、1960年代後半から1970年代前半に存在したアメリカ合衆国レコード会社。「カーマ・スートラ」はサンスクリット語の性愛の教典のことである。後に、1980年代にスートラ・レコード(Sutra Records)として活動を再開したが、1993年に破産した。

Kama Sutra Records
親会社カーマ・スートラ・プロダクション
設立1965年
設立者アーサー・"アーティー"・リップ ほか
現況破産(1993年
販売元MGMレコードブッダ・レコード
アメリカ合衆国

カーマ・スートラ・プロダクション

編集

1964年、アーサー・"アーティー"・リップ(Arthur "Artie" Ripp)が中心となり、ハイ・ミズラヒ(Hy Mizrahi)、フィル・ステインバーグ(Phil Steinberg)らが音楽制作集団カーマ・スートラ・プロダクション(Kama Sutra Productions)を興した。シャングリラスに楽曲を提供するなど、事業は順調に立ち上がった[1]

カーマ・スートラ・レコードの初期

編集

1965年MGMレコードで経理の仕事をしていたアート・キャス(Art Kass)が経営に参加し、レコードレーベル事業が始まった[1]。最初の年に、ジョン・セバスチャン率いるラヴィン・スプーンフルの「魔法を信じるかい? (Do You Believe in Magic)」が、ビルボードで第9位まで上昇するヒットとなった[2]。以降、ラヴィン・スプーンフルの一連のヒットがカーマ・スートラからリリースされていった[3]

1965年から1969年まではMGMレコードと配給契約を結んでいたが、1969年以降は、同じ所有関係の下にあったブッダ・レコードBuddah Records)が流通を担った。

スートラ・レコード

編集

1976年の半ばに、レコード会社としての事業はいったん休止したが、1981年にはスートラ・レコード(Sutra Records)として再出発することになった。スートラ・レコードの名の下で、キャスは Fever RecordsBlue Dog Records、Baila Records、Becket Records などの売り込みと流通を担い、the Cover Girlsthe Fat BoysVictor Willis などとの契約を取り交わしたが、1993年には連邦倒産法第7章に基づく手続きに入った。

現在、カーマ・スートラのカタログはソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)が所有しており、レガシー・レコーディングスが管理している。1981年から1993年スートラのカタログはユニディスク・ミュージックUnidisc Music)が権利を保有している。

所属アーティスト

編集

出典・脚注

編集
  1. ^ a b Bob Hyde (2000年4月11日). “The Kama Sutra/Buddah Records Story”. Mike Callahan. 2011年4月30日閲覧。
  2. ^ John B. Sebastian, timeline”. John B. Sebastian. 2011年4月30日閲覧。
  3. ^ Lovin' Spoonful Discography”. John B. Sebastian. 2011年4月30日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集