カーブリスターン(Kabulistan; Pashto/ペルシア語: کابلستان‎)は、現在のアフガニスタンカーブル州を中心とする地域を指す歴史的な地理名称である[1][2]。カーブリスターンは、現在のパキスタン北西部のペシャーワルなどをも含む。

カーブル王国の地図(Society for the Diffusion of Useful Knowledge 刊、1838年)。この地図では、現在のアフガニスタンに相当する地域の多くに「カーブル」(Caboul)の地名が割り当てられている。

プトレマイオス地理書をはじめとして、Cabolitae (Καβολῖται) という地名について言及するギリシア語の文献、ラテン語の文献は数多く残されている。18世紀から20世紀にかけて、ドゥッラーニー帝国のことをカーブル王国(Kingdom of Caboul)と呼ぶヨーロッパ人もいた[3]

6世紀から9世紀の間「カーブル・シャーヒー英語版」と呼ばれる豪族がカーブリスターンを支配した。彼らはカーブルの町を城壁で囲って防備を固めたが、ザランジュから進撃したサッファール朝軍に敗れた[4]。城壁跡は現在のカーブル市内で見ることができる。

出典

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  1. ^ txt_030_after
  2. ^ Section 14 – The Kingdom of Gaofu (Kabul)
  3. ^ "History of Afghanistan, from the Earliest Period to the Outbreak of the War of 1878", p.2, George Bruce Malleson, Elibron Classics Series, 2005 Adament〔ママ〕 Media Corporation, LINK
  4. ^ Kohzad, Ahmad Ali, "Kabul Shāhāni Berahmanī", 1944, Kabul