エンリコ・カルロ・ディ・ボルボーネ=パルマ
エンリコ・カルロ・ルイージ・ジョルジョ・ディ・ボルボーネ=パルマ(イタリア語: Enrico Carlo Luigi Giorgio di Borbone-Parma, Conte di Bardi, 1851年2月12日 - 1905年4月14日)は、イタリアのブルボン=パルマ家の公子。
エンリコ・カルロ Enrico Carlo | |
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ブルボン=パルマ家 | |
称号 | バルディ伯 |
出生 |
1851年2月12日 パルマ公国、パルマ |
死去 |
1905年4月14日(54歳没) フランス共和国、マントン |
配偶者 | マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
アルデグンデス・デ・ブラガンサ | |
父親 | カルロ3世 |
母親 | ルイーズ・ダルトワ |
パルマ公カルロ3世とその妻でフランス王シャルル10世の孫娘であるルイーズ・ダルトワの間の次男。最後のパルマ公ロベルト1世の弟。バルディ伯(Conte di Bardi)の儀礼称号で呼ばれた。
生涯
編集1873年11月25日にフランスのカンヌにおいて、両シチリア王フェルディナンド2世の娘マリーア・ルイーザ(兄ロベルトの最初の妻マリーア・ピアの妹)と結婚したが、マリーア・ルイーザは結婚後わずか3ヵ月で急死した。エンリコは1876年10月15日にオーストリアのザルツブルクにおいて、ポルトガルの廃王ミゲル1世の娘アルデグンデス(兄ロベルトの2番目の妻マリーア・アントーニアの姉)と再婚した。どちらの妻との間にも子供はなかった。
エンリコはヴェネツィアのカナル・グランデに面したカ・ヴェンドラミン・カレルジ宮殿の所有者であり、1882年には作曲家のリヒャルト・ワーグナーとその家族を招待し、宮殿に住まわせている。ワーグナーは翌1883年にこの宮殿で息を引き取った。