ウェイン・グリーン
ウェイン・サンガー・グリーン2世(Wayne Sanger Green II、1922年9月3日 - 2013年9月13日[1][2])は、アメリカ合衆国の出版者、著述家である。アマチュア無線雑誌『73』やコンピュータ雑誌『80マイクロ』などを創刊したことで知られる。
ウェイン・グリーン | |
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Wayne Green | |
生誕 |
Wayne Sanger Green II 1922年9月3日 アメリカ合衆国 ニューハンプシャー州リトルトン |
死没 |
2013年9月13日(91歳没) アメリカ合衆国 ニューハンプシャー州ピーターバラ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 出版者 |
著名な実績 | 『73』『80マイクロ』などの創刊 |
コールサイン | W2NSD |
生涯
編集グリーンは『CQ Amateur Radio』(US-CQ誌)の元編集者である。その後、自分の出版社であるウェイン・グリーン社を設立し、『73』『80マイクロ』『CDレビュー』『コールドフュージョン』『キロボー・マイクロコンピューティング』『RUN』『インサイダー』『ピコ』の創刊や、その他書籍の出版を行った[3]。また、ソフトウェア会社・インスタント・ソフトウェアを設立した。元妻のヴァージニア・L・グリーンが創刊した『バイト』の創刊から4号までの編集にも関わった。1980年代初頭には、ブラジルのコンピュータ雑誌『Micro Sistemas』の創刊を支援した[4]。1983年に5冊の雑誌を、『コンピュータワールド』を発刊するCWコミュニケーションズに売却した[5]が、その後、ウェイン・グリーン社が同社と合併した[6]。
彼はW2NSDのコールサインを持つアマチュア無線家であり[7]、アマチュア無線界、特に古巣のUS-CQ誌やアメリカ無線中継連盟(ARRL)との間でしばしば論争を引き起こした[8]。彼は『73』誌で、自身のコールサインのバクロニムから取った[2]"Never Say Die"というコラムを執筆し、この中でしばしばARRLを批判していた。そのような論争はコンピュータの業界でも起きた。
脚注
編集- ^ Wayne Green: “Wayne's World – News”. 2013年9月15日閲覧。
- ^ a b Doug Grant. “Wayne Green has left the building”. 2013年12月4日閲覧。
- ^ Robert L. Mitchell (August 15, 2008). “Tech Visionary and Byte Magazine Founder Wayne Green on Changing the World”. cio.com. 2013年6月22日閲覧。
- ^ “Micro Sistemas – a primeira revista brasileira de microcomputadores (de verdade !)” (Portuguese). mci.org.br (February 6, 2002). 2013年6月22日閲覧。
- ^ Needle, David (June 13, 1983). “Wayne Green Sells Computer Magazines to CWCI”. InfoWorld 5 (24): 1 .
- ^ Bartimo, Jim (April 9, 1984). “Q&A: Wayne Green”. InfoWorld 6 (15): 76 .
- ^ Bob Green (2006年). “W2NSD/1 Wayne Sanger Green II” (pdf). QSL Cards from the Past. 2013年6月22日閲覧。
- ^ “73 Magazine says '73 and QRT'”. ARRL (October 10, 2003). 2013年6月22日閲覧。