東予市

日本の愛媛県にあった市

これはこのページの過去の版です。2001:268:c027:9ad2:8561:e1c8:5543:7122 (会話) による 2021年6月13日 (日) 11:09個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

東予市(とうよし)は、愛媛県東予地方にあったである。瀬戸内海に面し東予港を擁する。平成の大合併西条市合併され、2004年平成16年)11月1日に消滅した。

とうよし
東予市
東予港
廃止日 2004年11月1日
廃止理由 新設合併
西条市、東予市小松町丹原町 → 新・西条市
現在の自治体 西条市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
市町村コード 38212-4
面積 73.89km2.
総人口 33,438
(2004年8月31日)
隣接自治体 西条市今治市
越智郡玉川町朝倉村
周桑郡小松町丹原町
市の木 くすのき
市の花 ツツジ
東予市役所
所在地 799-1394
愛媛県東予市周布349番地1
座標 北緯33度55分32秒 東経133度05分01秒 / 北緯33.92553度 東経133.08364度 / 33.92553; 133.08364座標: 北緯33度55分32秒 東経133度05分01秒 / 北緯33.92553度 東経133.08364度 / 33.92553; 133.08364
ウィキプロジェクト

市名の由来

市町村合併による新市名を検討する中で、合併当時は「東予新産業都市」(新産都)の開発が進んでいた時期であり、用地に恵まれた東予市には工場が多数立地し、人口も増えて、将来的には東予地方の中でも中核的地域になるのではないかとの期待もあり、そうした夢も込めて「東予市」としたとされている。元の地名の壬生川町(にゅうがわちょう) が難読地名であったことも一因である。

「東予」は本来「伊予の東」という意味で、東予市を含む愛媛県東部一帯を表す広域地名である。具体的な市町村としては、東は川之江市(合併し四国中央市)から西は周桑郡丹原町(同じく西条市)や越智郡菊間町(同じく今治市)までの広い地域を指す。

西条市への合併により自治体としての「東予市」は消滅したが、名は「東予港カーフェリーも発着しており、合併後も「東予」という地名は残っている。なお「東予」という鉄道駅はなく、特急停車駅は壬生川駅である。

歴史

これ以前の歴史は壬生川町三芳町(みよしちょう)の記事を参照。また2町の成立以前の旧の記事も参照。

行政

歴代市長

  • 初代:河上辰男(昭和47年10月 - 5期)
  • 第2代:青野照雄(平成3年2月 - 1期)
  • 第3代:青野勝(平成7年2月 - 合併まで、3期)

平成の市町村合併の経緯

今治市西条市に挟まれた東予市としては、周桑郡の2町(丹原町小松町)とともに1市2町での合併という選択肢もありえたが、小松町が早々と西条市とともに合併する方針を明らかにし、丹原町も同調する動きを見せたため、東予市もより大きな市となって行政力を高め、四国中央市新居浜市、今治市に伍していくという観点からこれに合流した。

新居浜市も含めた「大東予」的な市町村合併構想については、新居浜市や西条市がが積極的に推進する姿勢を見せなかったため、将来の課題として扱うこととなった。

合併協議の過程では、新市庁舎が西条市庁舎に決定し、新市名も「西条市」となるなど、旧西条市のペースで事態が進展することに対し、心情的に反発したり「東予市」「東予」の地名が消えることを惜しむ声もあった。

経済

工業

1934年に明正レーヨン株式会社壬生川工場(現:フジボウ愛媛)が誘致され、1954年には約1,200人の従業員を抱えるなど大きな産業となっていた。戦後は、東予市を含む東予地方が「東予新産業都市」に指定され、1973年には住友重機械工業1976年に住友アルミニウム精錬が進出した。

しかし、石油危機円高による構造不況により1984年に住友アルミニウム精錬が撤退。その後、住友アルミニウムの工場跡地には日本製鉄田窪工業所などが進出している。

主な工場

電力業

商業

主なスーパーマーケット
主な電器店

地域

教育

交通

鉄道路線

道路

有料道路

国道

県道

出身有名人

脚注

関連項目