スリップノット
スリップノット(Slipknot)は、アメリカ合衆国で結成された9人組ヘヴィメタルバンド。
スリップノット | |
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基本情報 | |
出身地 |
アメリカ合衆国 アイオワ州デモイン |
ジャンル |
ヘヴィメタル[1][2] ニュー・メタル[1][2] オルタナティヴ・メタル[1][2] ラップメタル[1] |
活動期間 | 1995年 - |
レーベル | ロードランナー・レコード |
公式サイト | Slipknot |
メンバー |
シド・ウィルソン (ターンテーブル) ショーン・クラハン(パーカッション、コーラス) ジェイムズ・ルート(ギター) クレイグ・ジョーンズ (サンプラー)<br/ミック・トムソン (ギター) コリィ・テイラー (ボーカル) ジェイ・ワインバーグ(ドラムス) アレッサンドロ・ベンチュレラ(ベース) |
旧メンバー |
アンダーズ・コルセフニ(ボーカル、パーカッション) グレッグ・ウェルツ(パーカッション) ブランドン・ダーナー(パーカッション) ジョシュ・ブレイナード(ギター、ボーカル) ポール・グレイ (ベース、ボーカル) ジョーイ・ジョーディソン(ドラムス) ドニー・スティール(ベース) クリスフェーン(パーカッション) |
概要
バンド名直訳は、『引き結び(輪が絞まる絞首刑や動物捕獲の結び方)』。あらゆるスタイルを融合させたヘヴィミュージックを得意とし、2000年代から世界各地で人気を博す。各メンバーが、それぞれ異なったユニークなマスクを被ってパフォーマンスをすることで有名。日本では最大の敬意と特徴を表して、“猟奇趣味的激烈音楽集団”というキャッチコピーが付けられている。
略歴
デビュー前
1995年9月、アイオワ州デモインで、ショーン・クラハン(2015年現在のパーカッション)と、ポール・グレイ(ベース)により、『The Pale Ones』のバンド名で結成。他のメンバーは、地元の音楽活動を通して知り合った、アンダース・コルセフニ(ボーカル)やドニー・スティール(ギター)で構成されていた。その後、バンド側は音の幅を広げたいと考え、ジョーイ・ジョーディソン(ドラム)とジョシュ・ブレイナード(ギター)が加入。
こうしてメンバーは6人となり、結成年の12月4日に初めての有料ライブを開催した。1995年末には『スリップノット』を作曲し、ジョーイの提案でこの曲名がバンド名となる。
1996年2月、ドニーが脱退。ギターの代役として、クレイグ・ジョーンズ(2015年現在のサンプラー)が加入。しかしアルバム制作の過程で、バンドはサンプリングの専門役の必要性に気づき、クレイグがサンプラーとなり、ギターリストとしてミック・トムソンが加入する。
1996年10月31日、自主制作アルバム『Mate. Feed. Kill. Repeat.』を発表。
このアルバムの楽曲は一部のラジオ局などで放送されたものの、大手レーベルの関心を取り付けるには至らず、バンドは新たな作品の制作に取り掛かる。この頃にバンドは、「よりメロディアスな歌唱力をもつボーカル」の必要性を痛感し、結果としてデモインで活動していたバンド、ストーン・サワーのコリィ・テイラーが新たにボーカリストとして加入し、アンダースはパーカッションに移る。
1997年9月、アンダースが脱退。パーカッションの代役として、グレッグ・ウェルツが加入。
1998年初頭、バンドは大手レーベルにデモ音源を送り、大手レーベルから大きな関心を引き寄せることに成功。新たなアルバムの制作を前にプロデューサーとしてロス・ロビンソンが招かれ、地元デモインでリハーサルが始まる。この直後に、バンドがその演奏技術に感動したことで、ディスクジョッキーとしてシド・ウィルソンが9人目のメンバーとしてバンドに参加する。
その後、ロードランナー・レコードより50万ドルでのデビューアルバムの制作を提案され、バンドは6月8日に契約。この2日後にグレッグが脱退。
1999年9月、バンドはパーカッションの代役としてクリス・フェーンを迎え、デビューアルバムのレコーディングのためにカリフォルニア州マリブに移動する。しかし、レコーディングの大半が完了した時期に、ジョシュが脱退し、バンドは一度デモインに戻る。レコーディングを遂行する為のギターリストとして、急遽ストーンサワーからジム・ルートがバンドに参加する。
デビュー後
1999年、1stアルバム『SLIPKNOT』を発表。この系統のジャンルでは記録的なセールスを樹立、デビューと同時に本国アメリカのみならず、日本においても爆発的な人気を獲得し、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーン、リンプ・ビズキット、マリリン・マンソンらに並ぶビッグネームにのし上がった。
2000年、2月初来日公演を行う。
2001年、2ndアルバム『IOWA』を発表。2002年にかけて『Iowa World Tour』と題された、バンド初のワールド・ツアーを果たす。この辺りからメンバー間の軋轢が表面化し、解散の噂も立ち起こった。
2004年、3rdアルバム『VOL.3: (THE SUBLIMINAL VERSES)』を発表。2005年にかけて『The Subliminal Verses World Tour』と題されたワールドツアーを果たす。この時には以前見られた不和は解消されている。
2005年、サマーソニック2005マリンステージに出演。
2006年、第48回グラミー賞にて、シングル『Before I Forget』が『Best Metal Performance』賞を受賞。その後一時的に活動を停止、各々サイドプロジェクトなどに勤しんだ。
2008年、4thアルバム『All HOPE IS GONE』を発表。ラウドパーク出演、6度目の来日を果たした。
2010年5月24日、ポール・グレイが急逝。急遽会見が開かれた。ちなみに会見は、全メンバーがマスクを外した姿で行われた。
2011年、スペインの『SONISPHERE FESTIVAL』に出演。ポールの代役をかつてギタリストとして在籍していたドニー・スティールが担当した。
2012年8月、自ら主催の『Knotfest』を開催。
2013年5月、OZZFEST JAPANで7度目の来日。同年12月12日、ジョーイが脱退。
2014年11月、自ら主催の『Knotfest JAPAN』で8度目の来日。
2015年6月、コリィによると、10月にワールドツアーを終了させた後、メンバーのそれぞれのプロジェクトに専念させるために再び一時的な活動休止に入ることを計画していると発表[3]。
2016年9月、『OZZFEST』と自ら主催の『Knotfest』が合体した『OZZFEST Meets KNOTFEST』を開催[4]。11月、『Knotfest JAPAN』で9度目の来日[4]。
2019年3月、14日に報酬の一部未払いを巡り、クリスがバンドを提訴。4日後の18日にバンド側がクリスの解雇を発表。
メンバー
9人のメンバーにはそれぞれナンバリングが施され、個人のテーマに沿ったマスクを被り、主にジャンプスーツを着ている。マスクはスクリーミング・マッド・ジョージが特注製作したもの(近年使用しているものは不明)。
現メンバー
シド・ウィルソン (Sid "DJ StarScream" Wilson) #0
1977年1月20日生まれ。1998年バンドに加入。バンド・コンセプトにおける中心人物。ギターやドラムに合わせた高速のスクラッチ奏法を得意とする。ライブではソロ演奏も担当することがある。ガスマスク型、ドクロ型マスクを経て、『All HOPE IS GONE』以降はややメカニカルなマスクとなっている。 ショーンに並んでライブ中のステージでは暴れ、自身の演奏パートがない時はパーカッションと共にヘッドバンギングをするかジャンプをしており、時に客席にダイブをすることもある。初期はステージ上でショーンと戦っていた。このため骨折を含めた怪我は頻繁である。
アニメ『トランスフォーマー』の大ファンであり、劇中の組織「サイバトロン」と「デストロン」のマークの刺青を、両手の甲にそれぞれ入れている。
また、劇中のキャラ名を使った『DJスタースクリーム』という名義でソロ活動も行っており、日本では『デスノート the Last name』のトリビュート・アルバム『The songs for DEATH NOTE the movie 〜the Last name TRIBUTE〜』に参加している。
先天性の多指症で指が6本あったが、手術で現在は5本になり、傷跡もほとんどない。
ジェイムズ・ルート (James "Jim" Root) #4
1971年10月2日生まれ。1999年加入。マスクは前メンバーが被っていた黒のゴム(もしくは革)のフェティッシュマスクだったが、『IOWA』以降はジョーカー風/デビル風ペイントのマスクになっている。身長198㎝。ボーカルのコリィと共にストーン・サワーでも長年活動。 ショーンがエグゼクティブ・プロデューサーとして参加したバンド、downthesunのメンバー、Danny Spainと共に、Atomic Operaというバンドに在籍していた。
フェンダーから、ジェイムス・ルートモデルのテレキャスターが発売されている。マホガニーのボディとEMGのハムバッカーピックアップが特徴。2010年にシグネイチャーモデルのストラトキャスターが追加された。この他にも同一仕様のフェンダー・ジャズマスターがフェンダー・カスタムショップによって製作されている(アーティストリレーション部門による製作で市販の予定は無い)。以前はジャクソン、ポール・リード・スミス等を使用していた。
クレイグ・ジョーンズ (Craig "133" Jones) #5
1972年2月11日生まれ。1996年加入。長く鋭い釘のようなものが突き出たマスクを被っている。別名「133MHz」。
メディアなどがインタビューを試みると、必ず口のチャックを閉めてしまい一言も言葉を発せず、「メンバーで唯一素顔が公開されていない」とされているが、メイキングビデオなどでは数回写っているのが何とか確認出来る。「このバンドに携わっていなければ殺人鬼になっていただろう」と自ら話している。
公式ウェブサイトや、公式のYouTubeアカウントの管理なども行っている。
スリップノットへ加入する前は、『Modifidious』というバンドでジョーイと共に、アイオワで活動していた。Modifidiousでは、クレイグがギター、ジョーイがドラム、ボーカルにジョシュ・ブレイナードが参加していた。
- パーカッション/コーラス
ショーン・クラハン (Shawn "Clown" Crahan) #6
1969年9月24日生まれ。1995年加入。オリジナルメンバーの一人。バンド・コンセプトにおける中心人物でリーダー。インタビューなどでは妻や娘への愛情を示したり、知的な雰囲気を醸し出すなど、激しいライブパフォーマンスとは違う面を見せている。インスタグラムによると息子の名前はGageで、既に成人している。
マスクは1stアルバムから一貫してピエロをモチーフにしている。またこのマスクから「クラウン」のニックネームで呼ばれている。 曲中では「Duality」などの曲で金属バットを振り回してドラム缶を叩く事をパーカッションの一部とすることがある。
ライブでは長髪を活かしたヘッドバンギングも含めて一番暴れ、また、オジー・オズボーン主催のオズフェストでは、毎回のようにカートを乗り回しては警備員に捕まる。元溶接工であり、ビッグドラムなど一部のパーカッションはショーンが溶接した(近年使用しているものは不明)。
40ビロウサマー、マッドヴェイン、downthesunなどのエグゼクティブプロデューサーとしても活動した。またトゥマイサプライズという、スリップノットのサイドバンドの中で一番ポップなバンドでも活動している。
- ギター
ミック・トムソン (Mick Thomson) #7
1996年加入。マスクは面長なメタリック/スティール風のディーモンをイメージしたもので初期の頃から一貫している。クワイエット・ライオットのアルバム『メタル・ヘルス』のジャケットと似ている事から度々話題になるが、本人は断固として否定している。
ブラックメタル系のカオティックな演奏を得意とし、常に激しいヘッドバンギングでステージに立つことで知られていたが、近年はどっしりと立って演奏する姿が目立つ。
DVDのインタビューでは休暇の日には「家で一日中マスをかいてる」と自ら語っている。
コリィ・テイラー (Corey Taylor) #8
1997年加入。初期のマスクはドレッドヘアー風の腐乱死体のようだったが、『All HOPE IS GONE』以降はシンプルでスマートなものへと変更され、現在は醜悪な男のマスクを着けている。ストーン・サワーにおいては素顔で活動。 高速でのデスラップを得意としており、難しい単語を多用した歌詞を乗せることが多い。10~20代にかけて薬物・アルコール中毒であったことを自ら明かしている。 バラード系シングルの『Vermilion』は、元妻スカーレットへの愛の歌である事、タイトルが彼女の名から生まれたことを雑誌インタビューで語っている。スカーレットはコリィの飛び降り自殺を文字通り引き止めた過去があるというのは嘘で、実際にはコリィの友人であるトム・ヘイザードが引き止めたというのは周知の事実である。
旧メンバー
- ベース/コーラス :
ポール・グレイ (Paul Gray) #2
1972年4月8日生まれ。1995年加入。オリジナルメンバーの一人。当初のマスクはブタ型、途中からジェイソンタイプのややシェイプされたもの。大柄だが演奏する際はほとんど上半身を前傾させている。
メンバーの中で、唯一ロサンゼルス出身だった(他メンバーはアイオワ州出身)。
サイドワークである『F.O.D』でも活躍していた。インディーズ時代は、コリィが加入するまでボーカルを担当しており、その後もライヴで『Spit It Out』の一部を歌っていた。また時折コリィに求められてデスヴォイスを披露する場面も見られた。
バンドでは唯一の左利きでレフティベースを使用、愛用していたアイバニーズのベースはシグネイチャーモデルとして販売されている(日本では右利き用のみ)。
2003年6月1日に車との衝突事故をきっかけとして、交通違反の他大麻やコカイン、その使用器具の所持の容疑で、アイオワ州デモインで逮捕された。
2010年5月24日、アイオワ州デモインのホテルにて死亡しているのがホテル従業員によって発見された。当初、現地捜査官はポール・グレイの遺体には事件性を物語るようなものはなかったと話しており、死因は不明だったが、6月21日に地元アイオワ州の警察から検視結果が発表され、モルヒネとフェンタニルによる偶発的過剰摂取によるものとの発表した。その他、"重大な心臓病"を患っていたことも明らかになった。その翌年のスリップノットのトリビュートライブでは、ポールの番号である"2"をステージの背景に掲げて演奏された。
- ドラム :
ジョーイ・ジョーディソン (Joey Jordison/Nathan Jonas Jordison) #1
1975年4月26日生まれ。1995年加入。オリジナルメンバーの一人で、バンド・コンセプトにおける中心人物。一貫して、白塗り/コープス・メイクをイメージしたマスク。
Murderdollsでは素顔のままでギターを担当。 脱退後に結成したVIMICとSinsaenumも素顔でドラムを担当している。
体格は小柄な方だが、高速のブラストビートやバスドラムを活かした業界屈指の強烈なドラミングを誇る。中でも楽曲の大部分をブラストビートで演奏する「Eeyore」では激しいテクニックを見ることができた。ライブではドラムセットごと空中で90°前傾し、さらに180°回転する、大掛かりな機材を用いたドラム・ソロを行うことがある。
メタリカのラーズ・ウルリッヒとは親交があり、かつてラーズがツアー中に急病で倒れた際、ジョーイが代理でドラムを叩いたことがある。また、マリリン・マンソンと非常に仲が良く、PVに友情出演した。コーンやミニストリー、ロブ・ゾンビなどのサポート・ドラマーとしても活躍している。
2008年に、左足の踵に亀裂骨折を負うが、鎮痛剤投与やカルシウムの補給などを行いながら、日本を含むワールドツアーをこなした。
使用するドラムはPearl(以前はOCDPのドラムを使用)、シンバルはパイステを使用している。Pearlからはシグネイチャーモデルのスネアドラムが発売されている。またパイステからはSlipknotモデルのシンバルが登場した。シンバル全体が黒く着色されているのが特徴となっている。スティックは、イーストンアヘッドのシグネイチャーモデルを使用していたが、2008年からはPRO MARKのシグネイチャーモデルを使用している。イーストンアヘッドは軽量合金に合成樹脂のスリーブを使用したものであったが、PRO MARKのものは木材(ヒッコリー)に改められている。自身のシグネイチャーモデルのスネアドラムはクレイドル・オブ・フィルス、デヴィルドライヴァー等のバンドも使用しており、その評価は非常に高い。
2013年12月12日、「個人的な理由」でスリップノットを脱退したことがバンド側から発表された[5]。本人は脱退を否定していたが[6]、2016年に<Metal Hammer Golden Gods Awards>でゴールデン・ゴッド賞を受賞した際、スリップノットを脱退した理由として、脱退直前に「横断性脊髄炎」を患っていたことにより、ドラムがプレイできない状態だったと説明した[7]。
クリス・フェーン (Chris Fehn) #3
1972年2月24日生まれ。1998年加入。長い鼻と装飾のある死人風のマスク。ファースト・アルバムより一貫してこのマスクを着用しているが、赤や緑に色を変える場合がある。
パーカッションでは向かって左側に陣取り、ショーンとともに激しいパフォーマンスを務める。また持ち場を離れてスネアドラムをマーチングバンドのように腰に装着して叩き回る時がある。
コーラスでは、ボーカルのコリィに劣らない激しいデスヴォイスにより、混乱と憎悪に満ちた楽曲の重要な役目を負っている。
休日はリラックスしてゴルフをする姿がスリップノットのDVDに収録されている。妻子持ちで妻の名前はMelissa。
2019年3月、十分な報酬が支払われていないとバンドを提訴した。同月、解雇をバンド側が発表。
- ドニー・スティール (Donnie Steele) :ギター/ベース
1995年加入。オリジナルメンバーの一人。『Mate.Feed.Kill.Repeat.』に参加。1996年、彼が信仰するキリスト教の教義上の理由でバンドを脱退。ジョーイは後のインタビューで、「自分たちはドニーの脱退を慰留したが、彼の決意は固かった」と語っている。
彼の代役はクレイグを経て、ミックが務めた。ポールの死後、サポートメンバーとして再び加入したが、ジョーイと同じ時期の前後から今後のツアーへの不参加を表明した。
- アンダーズ・コルセフニ (Anders Colsefni) :ボーカル/パーカッション
1995年加入。オリジナルメンバーの一人。『Mate. Feed. Kill. Repeat.』に参加。コリィ加入の1997年までボーカルを務めた。
- ジョシュ・ブレイナード (Josh Brainard) #4 :ギター・コーラス
1995年加入。1999年、バンド内における個人的な不満を理由に脱退。
- グレッグ・ウェルツ (Greg "Cuddles" Welts) #3 :パーカッション
1997年加入。オリジナルメンバーの一人。1998年6月10日、ジョーイの姉妹と交際していたことなどで内輪揉めになり、バンドを解雇される。
- ブランドン・ダーナー (Brandon Darner) #3 :パーカッション
1998年のみ参加。 現在はTo My Surpriseで活動中。
その他
- Slipknotのジャンル区分についてはさまざまな見解がある。これは、スタイル的にニュー・メタル、ミクスチャー・ロック、モダン・ラウド&ヘヴィなどが偏りなく混在しているためである。店頭などではミクスチャーに区分されていることが多い。
- 影響を受けたバンドとしてはMr. Bungle、Faith No More、Kiss、Black Sabbath、Helmet、Slayer、Fear Factory、Godflesh、Skinny Puppy、Neurosis、Judas Priest、Metallica、White Zombie、Led Zeppelin、Beastie Boysなどを挙げている[8][9][10][11]。
- ジョーイ在籍時は、楽曲のほとんどをジョーイとポールがメインで作り、それを他メンバーで編曲させる形式を取っていた。
- Slipknotのファンは「Maggots(蛆虫)」と呼ばれる。ライブではバンドの象徴ともいえる"個性的な"マスクを付けてコスプレをしライブに来る者や、メンバーに自作のマスクを送る熱狂的なファンも多い。
- マスクを被るのを提案したのはコリィで、昔見た映画『ハロウィン』の殺人鬼ブギーマンに由来する。
- バンドロゴ(「S」のアート)はジョーイが担当した。
ディスコグラフィ
アルバム
年 | タイトル | アルバム詳細 | チャート最高位 | 認定 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
US | AUS | AUT | BEL | FRA | GER | NLD | NZ | SWE | UK | ||||
1999 | Slipknot |
|
51 | 32 | 44 | — | 175 | 57 | 42 | 49 | 53 | 37 | |
2001 | Iowa |
|
3 | 2 | 8 | 4 | 7 | 4 | 15 | 5 | 10 | 1 |
|
2004 | Vol. 3: The Subliminal Verses |
|
2 | 2 | 5 | 6 | 6 | 2 | 14 | 3 | 2 | 5 |
|
2008 | All Hope Is Gone |
|
1 | 1 | 2 | 5 | 3 | 2 | 6 | 1 | 1 | 2 |
|
2014 | .5: The Gray Chapter |
|
1 | 1 | 2 | 12 | 8 | 2 | 13 | 2 | 3 | 2 |
|
2019 | We Are Not Your Kind |
|
|||||||||||
"—"は未発売またはチャート圏外を意味する。 |
DVD
No. | タイトル | 発売日 | 備考 |
---|---|---|---|
01 | WELCOME TO OUR NEIGHBORHOOD | 1999年 | |
02 | DISASTERPIECES | 2002年 | 2002年2月16日にイギリスのロンドンドックランドアリーナで記録されたライブ映像 |
03 | VOLIMINAL: INSIDE THE NINE | 2006年 | |
04 | (SIC)NESSES | 2010年 |
シングル
No. | タイトル | 発売年 | 備考 | 収録アルバム |
---|---|---|---|---|
01 | Wait And Bleed | 2000年 | SLIPKNOT | |
02 | Spit It Out | 2000年 | ||
03 | Left Behind | 2001年 | IOWA | |
04 | My Plague | 2002年 | 映画「バイオハザード」の挿入歌。 同映画のサウンドトラックにも収録されている。 | |
05 | Duality | 2004年 | VOL.3: (THE SUBLIMINAL VERSES) | |
06 | Vermilion | 2004年 | 映画「バイオハザードII アポカリプス」挿入歌。 この曲をライブで演奏する時、デスマスクを装着することが多い。 | |
07 | Before I Forget | 2005年 | ミュージック・ビデオではメンバー全員がマスクを外しているが、 素顔が見えそうで見えないようになっている。 | |
08 | The Nameless | 2005年 | 日本でも発売された。 | |
09 | The Blister Exists | 2007年 | ||
10 | Psychosocial | 2008年 | 映画「パニッシャー: ウォー・ゾーン 」挿入歌。劇中ではイントロ部分のみ流れる。 同映画のサウンドトラックにも収録されている。 |
ALL HOPE IS GONE |
11 | Dead Memories | 2008年 | ||
12 | Sulfur | 2009年 | ||
13 | Snuff | 2009年 | ||
14 | The Negative One | 2014年 | .5: THE GRAY CHAPTER | |
15 | The Devil In I | 2014年 | ||
16 | Custer | 2014年 | ||
17 | All Out Life | 2018年 |
来日公演
2000年
- 2月4日 大阪・BIG CAT 6/7日 東京・渋谷クラブクアトロ
2001年
- 8月18日 大阪・WTCオープンエアースタジアム 19日 千葉・マリーンスタジアム
SLIPKNOT JAPAN TOUR 2001
11月14日 名古屋レインボーホール、17・18日 千葉・東京ベイNKホール、20・21・22日 大阪・ZEPP OSAKA
アメリカ同時多発テロ事件の影響で翌年に延期
2002年
SLIPKNOT JAPAN TOUR 2002
- 3月18日 名古屋レインボーホール、19・20・21日 大阪・ZEPP OSAKA、23・24日 千葉・東京ベイNKホール、26日 神奈川・川崎クラブチッタ’、27日 東京・ZEPP TOKYO
SPECIAL GUEST:AMERICAN HEAD CHARGE
2004年
1月30日 ZEPP TOKYO
SONICMANIA 2004
1月31日 インテックス大阪 2月1日 幕張メッセ
ニュー・アルバムのレコーディングのため中止
SLIPKNOT JAPAN TOUR 2004
- 10月30・31日 千葉・幕張メッセ9・10番ホール、11月1日 愛知・愛知県体育館、2日 大阪・大阪城ホール、4日 福岡・ZEPP FUKUOKA
2005年
SUMMER SONIC 05
- 8月13日 千葉マリーンスタジアム、14日 大阪・WTCオープンエアースタジアム
2008年
SLIPKNOT JAPAN TOUR 2008
- 10月8日 愛知・ZEPP NAGOYA 10・11日 東京・新木場スタジオコースト 14・15日 大阪・ZEPP OSAKA 16日 宮城・ZEPP SENDAI
SPECIAL GUEST マシーン・ヘッド
LOUD PARK 08
- 18日 埼玉・さいたまスーパーアリーナ
2013年
- 5月11日 千葉・幕張メッセ
2014年
- 11月15日・16日 千葉・幕張メッセ
2016年
Knotfest Japan 2016
- 11月5日・6日 千葉・幕張メッセ
脚注
- ^ a b c d “Slipknot|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. 2015年2月1日閲覧。
- ^ a b c Slipknot reviews, music, news - sputnikmusic・2015年3月16日閲覧。
- ^ “スリップノット、2年間活動休止”. BARKS. (2015年6月24日) 2015年6月24日閲覧。
- ^ a b “スリップノット、<OZZFEST Meets KNOTFEST>で『アイオワ』を全曲プレイ”. BARKS. (2016年8月28日) 2016年10月21日閲覧。
- ^ “スリップノットからドラマーのジョーイ・ジョーディソンが脱退”. amass.jp. (2013年12月13日) 2016年6月14日閲覧。
- ^ “ジョーイ・ジョーディソン 「スリップノットをやめていない」”. amass.jp. (2014年1月2日) 2016年6月14日閲覧。
- ^ “元スリップノットのジョーイ・ジョーディソン、難病を患っていたことを公表”. BARKS. (2016年6月14日) 2016年6月14日閲覧。
- ^ Huey, Steve. “Slipknot biography”. allmusic 2007年12月13日閲覧。
- ^ Udo, Tommy (2002). Brave Nu World. Sanctuary Publishing. p. 124. ISBN 1-86074-415-X
- ^ Mudrian, Albert (2004). Choosing Death:The Improbable History of Death Metal and Grindcore. Feral House. p. 258. ISBN 1-932595-04-X
- ^ Helmet. “Helmet | Similar Artists, Influenced By, Followers”. AllMusic. 2014年4月23日閲覧。