御返事

竹取物語 投稿について 学問的には『日本説話小事典』の「竹取物語」に三浦佑之がまとめられたもの以上はないと思います。私も30年ほど前『万葉集』巻十六の第三七九一歌の「竹取の翁」が天女と契りを結んだ長歌との関連が発表された以降は聞いたことがない。これは関係者のただの宣伝だと思うのですが。書籍・論文があるというのなら提示してください。--奈良たかし(会話) 2013年8月16日 (金) 09:55 (UTC)

 大変失礼ですが、上記しかご存じない方が権限を持ってウィキペディア左右していることに大変疑問を持ちます。 ウィキペディアのレベルが、この様な所にあらわれている証拠ですね。 「注」をもっと入れることは可能です。努力しましょう。しかし、日本の学会が閉鎖的な一部の人達による一過性の分野「東大・京大…」だけでは、ウィキペディアの発展が望めないでしょうね。考古学、文献学、地名学、語源学の権威と言われている学長や名誉教授を2つもお持ちの先生方が京田辺へ赴き講演会やシンポジウムで「間違いないなく京田辺を舞台として竹取物語が出来た」と述べておられるわけです。現在教科書に掲載されている日本の歴史は、一部の出版社やマスコミ、学会の人達により偏向した歴史認識しか扱われないのが実情です。  竹取物語についての書き方、投稿の仕方に対して言われるのであれよいが、内容について貴方のような低レベル内容の議論では話にならないですね。図書館や本屋さんに言って調べてから意見を述べて下さい。2013.8.19 07.42記入

あなたの御便りを拝見いたしました。

戦国時代 (日本)の件ですが、現時点では「独自研究かも知れない」という可能性がある段階でしかなく、独自研究であると決め付けるのもいかがかと思われます。削除を行うよりもまず出典を求めるなどの対処があったと思われます。「何の反応もなく17時間経過したため」削除したとありますが、丸一日パソコンを開かなければそれだけで24時間経過してしまう訳で、当該IPユーザーの履歴を見た限りでは会話ページを開いた時には既にあなたの2度目のコメントが書かれていた可能性も考えられ、結果的には相手から見た場合には無警告で削除されたのと同じになってしまい、怒るのもある意味では一理あると考えられます。

参考:

  • IP氏の3月3日最後の書き込み:2008年3月3日 (月) 02:13 (UTC)
  • 奈良氏の最初のコメント:2008年3月3日 (月) 06:44 (UTC)
  • 奈良氏の削除のコメント:2008年3月4日 (火) 00:50 (UTC)
  • IP氏のリバート:2008年3月4日 (火) 02:51 (UTC)

こうした場合には、相手側から出典が出される可能性を考慮して少なくても1週間とか10日くらいは待って相手側の対応を見守ってからでも遅くはなかったかと思われます。また、戦国時代はその項目の性格上、大勢の人が閲覧・編集する可能性があり、瑣末な事が編集合戦などに発展する恐れもありえます。

今回の場合、相手に出典を求める一方で、ノート:戦国時代 (日本)においてこの記述についての疑問点に関する質問を行い、更にWikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメントでコメントを求める位の慎重な対応をした方が良かったのではないか? と思われます(もしかしたら、他の方でIP氏の主張の典拠をご存知の方がいるかも知れません)。

あと、これだけは念を押させて貰いますが、やはり相手の編集履歴などを見て(あなたのコメント後に編集履歴があれば、相手は必ずあなたのコメントを読んでいる事になる筈です)コメントを確実に読んでいるかも確認できないうちに「たった17時間」で削除してしまったというのは、相手の編集が独自研究であろうとなかろうと、結果的にあなたがIP氏に失礼な振舞いを行ってしまったことになってしまい(勿論、あなたにそのつもりはなかったのだと思いますが)、Wikipedia:礼儀を忘れないから見て適切でなかったと考えます。従って、今後あなたが相手に出典を求める場合にも、まず最初に削除の件は謝られるべきであると考えます。

私の御回答にご不満な部分もおありではないかと思いますが、私はウィキペディアは大勢の人が共同で行っていくプロジェクトである以上、相手に対する気遣いや配慮を行うことも忘れてはいけないと考えます。

余談ですが、「独自研究」を理由として削除依頼が出せるのは記事全体が「独自研究」である可能性が高い場合であり、本件の場合は後から追加された一部分に「独自研究」の可能性があるに過ぎない状態ですので、編集による対応が望まれると思われます。--水野白楓 2008年3月4日 (火) 11:06 (UTC)返信

とりあえずお返事

ウィキメール拝読いたしましたが、元のメールアドレスを秘匿した転送サービスからのメールの様でしたので、お返事は差し上げられませんので悪しからずご了承下さい。

なお、内容はWikipediaの方針に関する事であり公の場で対話する事に不都合のある内容ではないと思いますので、今後同じ内容のご意見をお寄せ頂く際は私の会話ページへお願いします。

以上、用件のみにて失礼いたします。--Szk7788会話2012年12月6日 (木) 17:36 (UTC)返信

奈良小1女児殺害事件について

この事件については思う所は色々あるんですが、Wikipedia:削除の方針の『ケース B-2「犯罪の被疑者名または被告名または元被告名」』に該当しまので実名記載はお控えください。--あな34(須魔寺横行)会話2013年2月21日 (木) 12:14 (UTC)返信

下書きとして制作されたページのカテゴリについて

記事作成時の要約欄への新規作成を意味する記述について

始めまして。ディークエステンと申す者です。

奈良たかしさんは記事の作成時に、要約欄に新規作成を意味する記述を記事によって全く統一せずにしていますが、これでは新しいページからご覧になった際に、作成された記事がどのような記事なのか、実際に記事を見ないと分からなくなってしまいます。

特に奈良たかしさんが作成されたイスラム国ISIS 日本人拘束事件(現:ISILによる日本人拘束事件)の記事作成時の要約欄にページ新設とあったのは記事の性質と内容からして不謹慎ではないでしょうか?

また、奈良たかしさんの投稿記録において、新規作成であることを示す太字のNが付けられる為、そのような記述をする意味は全くありません。

よろしければ記事作成時の要約欄にこう書けば、新しいページからご覧になった際に、このような記事であると分かってもらえるでしょう。

何も書かない(この場合、記事作成時の要約欄にテンプレート内容を含めた記事冒頭が表示されます)
奈良たかしさんが作成された王妃マルゴかくかくしかじかのように、どのような分野の記事なのか、作成する記事に関連した記事の簡単な詳細を記入する
奈良たかしさんが作成された平城宮跡保存運動の初版のような初版の状況を含めた要約欄記述も有用

新規作成時の要約欄記述に関しては詳細なルールは特に定められていませんが、気になったのでお伝えします。--ディークエステン会話2016年9月17日 (土) 20:19 (UTC)返信

ノートは掲示板ではないのですから、個人的な要求や批評を書かないでください。そういうことをするのは実社会でおかしいことだと思いませんか。迷惑です。自分で基準などおかしいと思うのなら改正の提案をしてください。--奈良たかし会話2016年9月19日 (月) 14:58 (UTC)返信

松平信康における『總見記』について

「史料価値がないということを全研究者が認めている」点についての出典をお願いします。なお、当該部分の記述を行ったのは私ではありません。単純に、一個人であるあなたが、「全研究者の見解」をなぜご存知なのか、が気になっただけです。よろしくお願いします。--Alexander Poskrebyshev会話2019年3月24日 (日) 14:09 (UTC)返信

単なる「要約文」のつまらない言葉の揚げ足取りに出典を必要とするのでしょうか。まあ、そっけないのも何なので『検証 本能寺の変』 谷口克広』「そのまま信じてはいけない史料」として『総見記』、『明智軍記』を上げています。それと藤本正行氏の研究では明治22年 - 大正13年陸軍参謀本部「日本戦史シリーズ」に、『総見記』などが「大変低いレベルなのに」取り上げられ、戦国史研究が「擬古物語」に強引に娯楽として書かれた軍記物や軍団を取り入れ(この言葉自体は高橋昌明『武士の日本史』p.228-229)大きく歪められてしまい太平洋戦争後に高柳光壽氏らは「戦国史」実証研究を目指して苦闘されたそうです。それで30名ほどの研究者の書200冊を読んでもまるで引用参照されないし、歴史学会では、よほど問題になる本だなと思った次第。いまのところ資料としていると公言されたのは小説家の藤沢周平氏の作品に対してだけでした。今の戦国史もまだ「長篠の戦い」など悪影響が残っているそうですが。逆に使用していいというのならそう表明している専門研究者の見解を示してください。とにかく熾烈に忙しいので、これ以上の記述はエネルギーや手間が惜しいので、ご容赦。--奈良たかし会話2019年3月26日 (火) 13:11 (UTC)返信
あなたが「揚げ足取り」としか受け取っておられない、誠意のない利用者である事だけはよく伝わってきました。なお私は「使ってもいい」などとは考えておりません。ついでに申しますと、谷口克広さんは中公新書でも複数の著書がある方ではありますが、アカデミズム界の人物ではなく、一介の在野の素人歴史研究者に過ぎないと(私は)思っています。そうした方の文章を出典にすることは、少なくとも私ならしません。それはそうと、熾烈に(猛烈に?)忙しいのならば、wikipediaの編集などにかまけておらず、本業のほうに専念されるべきではないでしょうか。くどいようですが、私が疑問に思っているのは「一個人であるあなたが、『全研究者の見解』をなぜご存知なのか」であって、当該記述の可否ではありません。あなたが「全研究者の見解」を提示できないのならば、そのような文章表現は一切使うべきではありません。そうしたことに気を配らない方であることは理解しました。--Alexander Poskrebyshev会話2019年3月26日 (火) 15:44 (UTC)返信

明智光秀での信頼性要検証タグ貼り付けにつき

始めまして。標記の件についてノート:明智光秀#「細川ガラシャ展」展覧会図録につきをご確認いただくようお願いいたします。--Rasalghul会話2019年5月10日 (金) 12:06 (UTC)返信

ノート確認して対応しました--奈良たかし会話2019年5月10日 (金) 13:29 (UTC)返信