1928年ドイツ国会選挙
1928年5月20日のドイツ国会選挙(独:Reichstagswahl vom 20. Mai 1928)は、1928年5月20日に行われたドイツの国会(Reichstag、ライヒスターク)の選挙である。
経緯
1928年2月に中央党・ドイツ国家人民党・ドイツ民主党・ドイツ人民党・バイエルン人民党が支持するヴィルヘルム・マルクス内閣はバーデンの学校の宗教教育問題めぐって分裂し、事実上政権崩壊した。3月31日には国会解散となった[1]。
マルクスを支持する与党は軒並み支持率を落とす中、野党のドイツ社会民主党が力を取り戻した選挙であった。当時ドイツは好景気であったため、ヴァイマル共和政が肯定的な評価を受け、ヴァイマル共和政を作った社民党が再評価を受けたと言われる。一方、ヴァイマル共和政を否定するドイツ共産党も着実と力をつけつつあることを示した選挙ともなった。
選挙結果を受けて久しぶりの社会民主党首班政権であるヘルマン・ミュラー内閣が成立した。ミュラー内閣は社民党・中央党・民主党・人民党・バイエルン人民党による安定した連立政権となり、ヴァイマル共和政下の内閣では最長を記録した。
なお国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)にとっては党活動禁止中の偽装政党国家社会主義自由運動から党を実質的に引き継いで再建された後の初めての選挙であったが、この選挙での議席獲得は12議席にとどまった。ナチ党の急速な躍進は世界恐慌による不況の中での選挙(=ヴァイマル共和政批判派が増える中での選挙)となったこの次の選挙から始まる。
選挙結果
党名 | 得票率 (前回比) | 議席数 (前回比) | ||
---|---|---|---|---|
ドイツ社会民主党 (SPD) | 29.8% | +3.8% | 153 | +22 |
ドイツ国家人民党 (DNVP) | 14.3% | -6.2% | 73 | -30 |
中央党 (Z) | 12.1% | -1.5% | 61 | -8 |
ドイツ共産党 (KPD) | 10.6% | +1.7% | 54 | +9 |
ドイツ人民党 (DVP) | 8.7% | -1.4% | 45 | -6 |
ドイツ民主党 (DDP) | 4.8% | -1.5% | 25 | -7 |
ドイツ中産階級帝国党 (WP) | 4.5% | +2.2% | 23 | +11 |
バイエルン人民党 (BVP) | 3.1% | -0.6% | 17 | -2 |
国家社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP) | 2.6% | -0.4% | 12 | -2 |
キリスト教国家小作農及び農民党 (CNBL) | 1.9% | - | 9 | - |
右翼人民党 | 1.6% | - | 2 | - |
ドイツ農民党 (DBP) | 1.6% | - | 8 | - |
農業連盟 | 0.7% | -0.9% | 3 | -1 |
ドイツ=ハノーファー党 (DHP) | 0.6% | -0.3% | 4 | +/-0 |
ザクソン小作農団 | 0.4% | - | 2 | - |
諸派 | 2.7% | -0.4% | 0 | +/-0 |
合計 | 100.0% | 491 | -2 |
この選挙で初当選した著名な議員
- ヴァルター・ウルブリヒト(ドイツ共産党所属。後の東ドイツ国家評議会議長)
- ヨーゼフ・ゲッベルス(ナチ党所属。後の宣伝大臣)
- ヘルマン・ゲーリング(ナチ党所属。後のプロイセン州首相、四カ年計画責任者、空軍総司令官)
- ヴィルヘルム・ピーク(ドイツ共産党所属。後の東ドイツ大統領)
出典
参考文献
- 阿部良男『ヒトラー全記録 1889-1945 20645日の軌跡』柏書房、2001年(平成13年)。ISBN 978-4760120581。
- 林健太郎『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』中央公論新社、1963年(昭和38年)。ISBN 978-4121000279。