石橋貴俊
石橋 貴俊(いしばし たかとし、1968年9月26日 - )は、北海道石狩支庁浜益郡浜益村(現:石狩市)出身のプロバスケットボール選手、指導者。身長210cm、体重140kg、ポジションはセンター。選手としては1992年から2007年までプレイし、アトランタ五輪予選の日本A代表に選ばれた。引退後は指導者となり、2014-2015シーズンはNBLの和歌山トライアンズでヘッドコーチ兼PR大使を務めた。
和歌山トライアンズ HC | |||||||||||||||
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ポジション | センター | ||||||||||||||
役職 | ヘッドコーチ | ||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
愛称 | "バシ","ばっさん" | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生年月日 | 1968年9月26日(56歳) | ||||||||||||||
出身地 | 北海道浜益郡浜益村 | ||||||||||||||
身長(現役時) | 210cm (6 ft 11 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 140kg (309 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
ドラフト | 2006年 18位 | ||||||||||||||
選手経歴 | |||||||||||||||
1992-1998 1998-2000 2000-2007 |
日鉱共石/ジャパンエナジー 大日本印刷 富山グラウジーズ | ||||||||||||||
指導者経歴 | |||||||||||||||
2008-2009 2010-2011 2012-2013 2013-2014 2014-2015 |
富山グラウジーズ 滋賀レイクスターズ 信州ブレイブウォリアーズ 埼玉ブロンコス 和歌山トライアンズ | ||||||||||||||
代表歴 | |||||||||||||||
キャップ | 日本A代表(アトランタ五輪予選) | ||||||||||||||
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キャリア概観
浜益村立浜益中学校(現:石狩市立浜益中学校)卒業後、札幌開成高校に進学し、北海学園大学に進学。
日本リーグ
北海学園大学を卒業後、日鉱共石(後のジャパンエナジー)に入社、同社のバスケットボール部に入部。1992年には日本リーグ男子1部の新人王を受賞。 1995年にはアトランタ五輪予選の日本A代表に選出。
後、大日本印刷イーグルスへ移籍するが、2000年に廃部したため、クラブチームの富山グラウジーズに加入。
bjリーグ
2006年度に富山グラウジーズがプロチーム化して、日本初のプロバスケットボールリーグbjリーグに新規参入。ドラフト会議では富山から4巡目、全体で18番目の指名を受けて、引き続き富山に所属。
bjリーグ参入当初はレギュラーだったが、シーズン前にジェロッド・ワードが加入し出場機会が減少。しかし、bjリーグ1の日本人ビッグマンで、富山グラウジーズ屈指の人気選手の一人であった。
朱鷺メッセには、深い思い入れがあるという。当時JBLスーパーリーグに所属していた新潟アルビレックスBBの試合を堀川竜一ら当時のチームメートと観戦し、「他のJBLのチームと違い、演出、客の盛り上がり、試合内容どれをとっても僕が夢見た空間」と自身のブログで語っている。
2000年、大日本印刷所属時に『笑っていいとも!』に出演。富山グラウジーズ入団後の2007年2月15日にも、『笑っていいとも!』の「人間プロファイリング ハメ込みナンバーズ」に出演し、ゲスト解答者の辻希美(身長151cm)との身長59cm差の共演を果たす。
現役引退後
2006-07シーズンをもって現役を引退した後は、バスケットの技術指導を行ったり、キッザニア東京のイベントに参加するなど、バスケットボールの普及活動を中心に行っている。また、2007年11月10日に沖縄テレビで生中継された、琉球ゴールデンキングスVS埼玉ブロンコスの解説を担当し、解説者としての初仕事を行った。また、12月2日には、GAORAで生中継された大阪エヴェッサ対新潟アルビレックスBBの試合の解説も担当した。富山グラウジーズ関係では、育成コーチとして、グラウジーズが主催するイベントに参加したり、公式戦の暫定アリーナDJ(通称MCバシ)としても活躍している。
2008年12月9日、富山グラウジーズヘッドコーチに就任。就任直後にチーム史上初のbjリーグ戦4連勝を達成した。シーズン終了後に退団。
2009年、滋賀レイクスターズアシスタントコーチに就任。2010年よりヘッドコーチに昇格。シーズン中一時期首位に立ったがその後陥落、後半戦に入り5連敗を喫したところで解任された。
2011年オフ、信州ブレイブウォリアーズのコーチに就任。2012年よりヘッドコーチに昇格。
2013年オフ、信州のヘッドコーチを退任し、埼玉ブロンコスのヘッドコーチに就任するも、1シーズンのみで退任[1]。
2014年7月1日付で和歌山トライアンズPR大使に就任[2]。9月にはアシスタントコーチとしても契約することとなった[3]。シーズン開幕後の11月30日にヘッドコーチに昇格した[4]。
2015年7月23日時点では、和歌山トライアンズのアンバサダーを務める[5]。
脚注
- ^ “石橋ヘッドコーチ契約満了のお知らせ”. 埼玉ブロンコス TOPICS最新情報 (2014年5月27日). 2014年6月4日閲覧。
- ^ 元バスケットボール日本代表石橋貴俊氏和歌山トライアンズPR大使就任のお知らせ和歌山トライアンズ2014年6月27日
- ^ "石橋貴俊 2014-2015シーズン 和歌山トライアンズ アシスタントコーチ就任のお知らせ" (Press release). 和歌山トライアンズ. 4 September 2014. 2014年9月5日閲覧。
- ^ "石橋貴俊アシスタントコーチ 和歌山トライアンズヘッドコーチ昇格のお知らせ" (Press release). 和歌山トライアンズ. 30 November 2014. 2014年11月30日閲覧。
- ^ "和歌る?紀になる!:バスケットボール トライアンズ、新リーグ参入29日に可否発表 実績重ね再建一歩ずつ" (Press release). 毎日新聞. 23 August 2015. 2015年8月24日閲覧。